小さな頃は苦いばかりだと思っていたコーヒーを美味しく感じるようになったのはいつ頃からだったでしょうか。
初恋の人が大のコーヒー好きで、朝夕の一杯を欠かさない人だった事が大きく影響している気がします。
特に好きでもなかった何かを好きになるには、必ずきっかけがあるもので、それも好きな人がそれを好きだったから、というたあいのない理由だったりします。
それでも、その人がコーヒーを好きだったから、というだけなら、特にきっかけとして記憶にも残らなかったかもしれません。
折に触れて思い出すのは、初恋の人がかけていた洋楽の中にこんな一曲があったからなのです。
ボブ・ディランの『コーヒーもう一杯 One More Cup of Coffee』は、アルバム『欲望 Desire』の中に入っている一曲です。ディランのしわがれた声が哀愁を帯びたバイオリンと共に、エキゾチックな女性との別れを歌います。
1976年に発表されたなつかしいこの曲は、今ではザ・ホワイト・ストライプス(The White Stripes)やフレイジイ・フォード(Frazey Ford)など数々のアーティストにカバーされています。
当時の私にはけっしてとっつきやすい曲ではありませんでしたが、その方が同じアルバムを繰り返し聴いているもので、自然と聴き覚えてしまいました。
コーヒーを片手に、ブックレットを何度も読み返したものです。
まず、歌詞の中で詩的に歌いあげられる女性が何とも神秘的で、心をひかれます。
なめらかな髪と甘い息、マキバドリのような声をもつ、宝石のような瞳のその女性は、野に育ち、無学ながら天衣無縫の美しさをもっています。
ジプシーの娘なのでしょうか、奔放な彼女はその母から未来を見る能力さえ受け継いでいます。
しかし彼女は星ばかり見ていて、男に誠実さを示してはくれません。
そこで、男は別れを決意します。ベッドに横たわる彼女を眺めながら、腰を下ろして、別れを告げる前のほんのひと時、コーヒーをもう一杯、口に運ぶのでした。
恋の苦さを味わうようなこの一節を、まだ失恋を知らない私はわかりえない遠い物語として聴いていました。
曲の中に描かれた失恋の苦しみなどには焦点を当てず、なんてエキゾチックなんだろうとか、こんな風に描かれるなんて、きっと信じられないほどきれいな女性だったにちがいないな、なんて、無邪気なため息をついていただけだったのでした。
くりかえしかけていたこの曲に特別な思い入れがあったかどうかは知りませんが、初恋の人にはきっと忘れられない人がいたのでしょう。ほどなくしてお別れしてしまいました。初恋は実らないとはいいますが、なんともはや。
いつのまにかコーヒーを好きになっていた私は、何の因果かコーヒー専門の喫茶店に勤めるようになり、恋を忘れて美味しいコーヒーの入れ方に腐心するようになりました。
甘い香りに囲まれて過ごす毎日は、あわただしくもあたたかく、あたりを見廻してみれば、コーヒー好きな人達に囲まれた日々でした。
ビジネス街の中にこじんまりと立っていた小さなお店には、昼休憩には笑顔でウインナコーヒーを飲みに来てくれる初老のおじさんがいます。口数少なく温かいカフェオレを所望される、エレガントな佇まいのキャリアウーマンがいます。
夜になれば、時間がいくらあっても足りない学生のカップルが訪れます。
彼らはソファでコーヒーに時折口をつけながら話しこみ、カップが空になると、お代わりを頼みに来られるのでした。
熱々のいれたてをお持ちして、喜んだ顔を見せて頂くのが楽しかったものです。
いつの間にか、コーヒーは私と他の人の笑顔をつなぐものになっていました。
コーヒーの香りは600以上もの構成要素を持ち、食品のうちでも最も複雑で幻妙な香りをもつものの一つだといいます。
忙しい日々の中、深く煎った豆の香りが髪や服にしみつく頃には、失恋の思い出はコーヒーの数ある香りの一つとなって遠く薄れていきました。
それでも、一人でお茶を入れるひとときに、ふとなつかしく思い出すことがあります。追憶の中ではマグカップの中のコーヒーがあたたかい湯気をたてていて、ブックレットは開いたままテーブルの上で読む人を待っています。冬のかわいた風に窓は音を立て、ボブ・ディランの枯れた声がこう歌っています。
『コーヒーをもう一杯 僕が旅立つ前に コーヒーをもう一杯』
旅立ったのは私だったのか彼だったのか、などと考えてみても詮無いことですが、あれからもう十年以上も経つ今となってみても、コーヒーをいれる度に、立ちのぼるほろ苦い香りの中で思い出す曲です。
きっとコーヒーの深い香りには、甘かったり、苦かったりする色とりどりの記憶を引き出す、不思議な作用があるのでしょう。
コーヒーカップの中には、思い出が宿ります。
あなたのカップには、どんな思い出が香っているのでしょうか。
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