きさらぎCAFE

肩肘はって生きている。美和は、今日も十センチ以上あるヒールのブーツにマイクロミニのスカート、リブニットのセーターにカシミアのコートを羽織っている。バッグはグッチだ。

靴はヒールが高い方が恰好良い。スタイルも良く見える。どんなに足が痛くても、かっこよく歩いてやろうと、靴を買う時には生唾を飲み込んで購入することも多い。美に対する意気込みが違うのだ。寒風が吹きすさぼうと、足の形を良く表すミニのスカート。ひざ丈のスカート等で、体の形を良く表すものなら良いのだが、ふんわりとした形のスカートならば、太った女でも着られる服装なのだ。
鍛えぬいた体を最大に美しく見えるラインの衣装をしっかりと選ぶことが大切なのだ。

うっかり、服を買ったりはしない。最も美しく見える衣装を見極めて買う。あいまいな衣装が家にあると、ついうっかりと着てしまう可能性だってあるのだ。それぞれ、ちゃんと主張のある衣装をきっちり選んでいることが大切なのだ。
美和は絶対に妥協しないと決めている。
美味しいスイーツは大好きだ。けれども、スイーツは、太りやすいとよく囁かれている。だから、食べる時には、最高級のデザートを選んで体に取り入れなければ勿体ない。きらきらとしたスイーツたちをデパートやパティスリーのケースでよく選んで、最も美しいデザートを選ぶのだ。
飲み物については、スイーツのサブ的存在となるので、糖分の入っていないものを選ぶことにしている。

コーヒーならばブラックが良い。
ブラックのコーヒーは、どうでも良い男を遠ざけてくれる。
昨日も、会社の休憩時間に、「コーヒーでもいかがですか?」と誘ってもらった。
同僚の斎藤健太は、男前とは言えない、タイプであり、性格も自信なさそうに見えるのだ。
そんなタイプの男性が、美和の所によく集まって来る。
そんな時は、斎藤健太が「僕には無理だ。」と思えるように、思いっきお高く振る舞うことにしている。
会社内に設えられた、CAFEでは美和はいつもコーヒーを注文することにしている。

齋藤健太が「飲み物、何がいいですか?」と声を掛けると、
「ブラックコーヒーをお願い。」と美和は頼んだ。
齋藤健太は少し、眉を潜めてから、美和のコーヒーを注文して、自分のカフェオレも注文した。
美和は、甘いコーヒーを飲んでいる男が嫌いなわけじゃない。
甘いコーヒーを飲んでいることを恥ずかしく思って、なおかつ、女の子には、ミルクティーを頼んでほしいと考えているような男が嫌いだった。
齋藤健太の横でブラックのコーヒーと、ブラックチョコレートの欠片を口に放り込む。
「いつもブラックですか?」
「そうよ。甘い物は大好きなの。だから、飲み物はブラックよ。」
美和の差し出したチョコレートを斎藤健太は少し口に入れてまた、眉を寄せた。
「苦くない?」
「そうかしら?」
チョコレートも当然、ブラックチョコレートなのだ。
完璧に真っ直ぐに整えられた髪と、真っ直ぐな足。私は美しい女なのだから、気軽に近づかないでほしいわ、というオーラを発揮するのだ。
美和は、仕事でも斎藤健太に等負けてはいない。斎藤健太は、東京大学出身で、美和は、京都の私立大学だ。
学歴ではすでに負けているからか、どういうわけか、この男には負けたくないのだ。
それは、今手掛けているプロジェクトが成功した結果、誰の業績になるかが掛かっている。チームリーダーは課長だ。部下の評価は美和か、齋藤健太か、どちらが勝ち取るのか、日々火花をちらしたくなる。
美和に比べて、斎藤健太の構えはのんびりとしたように見える。
ランチの時間には、美和は課長や、部長に誘われると、直ぐに同行して、昼休みもオフィスの会話を忘れない。
しかし、斎藤健太ときたら、実家の母親がつくった弁当を毎日デスクで食べているのだ。
何と言う、出世欲の無さだろう。
こんそんな男は、斎藤健太だけではない。
今日、美和は、会社の地下ロッカールームで着替えてた後に、地下の通路を歩いていると、清掃係の男性に声を掛けられた。
彼は、美和の部下にも当たる身分で、妻子持ち、しかも、社員ですらない。そんな男が美和に近くよってきて、
「今度、一緒に食事にいきませんか?」と言ってきた。
「まずは、ロッカールームの清掃をお願いします。」と冷たく言い放って、美和は踵のおとを響かせながらその場を去った。

その年末、会社の帰り道、課長とばたりあったので、立のみ居酒屋に入ることになった。
美和の好むような店ではない。
立ち飲み屋と言うのは、足に負担がかからない靴を履いている人の為にある。
八センチ以上のヒール、しかも、ピンヒールをはいてずっと歩いていると、一刻も早く椅子に座ったり、足を休めてやりたい気持になるのだ。
課長とは、ビールを二杯ずつお代わりをして、仕事の進み具合を話したけれど、話なんて面白い訳はない。
足が痛くて、もう我慢できない、ひたすら痛みを我慢している状態だったのだ。
ダサい立ち飲み居酒屋をばかにするのは簡単だ。しかし、おしゃれなバールで、立食、となると、足が痛いなどというとかえってこちらの方が、格好悪い存在となってしまうのだ。
足が痛いような顔は少しも見せたりせず、ひたすらに我慢して時が過ぎるのを待つ。
しかし、会社でから登山へ行く、と課長が言い出してしまった。
美和はスニーカー等持っていない。スニーカーなんかをはくと、足が長く見えにくく、小さい人に見えてしまうのだ。
行かない、という選択肢もあった。でも、斎藤健太に負けたくはない。
行って見なければ、どんな楽しみがあるのか分からないではないか。
美和は、一度赴いて、面白くなかったわ、という事は良く合っても、行かなくて、どんな会だったのかしら、と思う事は苦手だった。
行って見て、自分で確認しないことには気が済まないのだ。
会社の帰りに早速スニーカーを沢山売っているお店を調べて、靴を探しに行った。
ヒールが着いたようなスニーカーも売られていた。しかし、それはとても安い値段で売られている。
ブランドの物はどれも、低い踵で爽やかな仕立てになっている。
小学校の頃に、小さな教師で、男性だったからか、ヒール靴をはいている奴がいた。変態男であった。あの教師の様に見えるヒール靴だったら絶対に履きたくはない。その売り場に置かれているヒールのあるスニーカーはあの教師をほうふつとさせるものがあったのだ。
諦めて、美和は、踵の無い、爽やかなスニーカーを手に取って履いてみた。
その履き心地は、それはもう、雲の上をあるくくらい、軽やかな歩みだったのだ。
鏡に見える姿は、決して足長に見えない。どちらかと言うと、足が短く見えてしまう。
しかし、スニーカーは足をふんわりと優しく包み、まるでどこまでも歩いて行けるあのような錯覚を覚えた。
こんなにも楽な靴がこの世にあるなんて考えたこともなかった。
ヒールがない靴。しかもスニーカーは優しくて、どういうわけか心にしみた。
美和は、一万円のスニーカーを買って週末の登山に備えるべく、歩きやすいジーンズや、バッグなどのグッズをそろえた。
つばのついた帽子に、サングラス、脱ぎ着しやすいカーディガン等もしたくしていく。
そして、週末、遂にスニーカーを履いて家を出る日がやって来た。
玄関で白いスニーカーを履いて扉を開けると、景色が、何時もより違う。低いのだ。しかし、足は本当に軽くて、夢のようにふわふわと動き、足取りは何処までも軽くて駅までの道のりも、雲の上をあるいている優雅さなのだ。
信じられない心地よさだ。今までの肩肘はって歩いていた靴は何だっので有ろう。男たちは、日々、こんなに楽な靴であるいていたのかと思うと、美和の苦労は何のためだったのかと首をかしげてしまうのだった。
社員一同で待ち合わせた駅から、ハイキングコースに向かって歩いて行く。
いつもより、斎藤健太が身近に感じられた。
斎藤健太は、以前から、足の痛みに耐える毎日ではなく、人生を楽しんでいたのか、と思うと、美和は、斎藤の話をちょっと聞いてみようかな、という考えが頭をよぎったりもした。
その日は、いつも厳めしい顔をしている部長も、ハイキングコースを歩く内、孫の写真を披露して、微笑みながら歩く姿が見られた。
齋藤健太と一緒に緑の道を歩きながら、雪柳が揺れる丘のベンチに座った。向こうにきさらぎCAFEと書かれた自動販売機が見える。
「何か飲み物買ってきましょうか?」
「ありがとう。じゃあ、カフェオレを。」
「甘くても大丈夫ですか?」
「甘い物が、とても甘い物が飲んでみたい。」
美和は言いながら少し恥ずかしくなってしまった。
甘い物を頼むなんて。肩肘張っているとは言えないではないか。
齋藤健太が自動販売機にあるいていってしまって、見上げると、青い空には雲がふわりと浮かんで、そよ風が吹いている。
クローバーの茂みには、ミツバチなどがあそんでいる。
ベンチに寝転がってみると、一面空が目に入る。空しか目に入らない。それは、心がどこまでも広がっていくくらい、のどかで平和で幸せな時間だった。
齋藤健太が戻ってきて、カフェオレを美和に手渡した。
「ありがとう。」
受け取ったカフェオレは温かい。身を起して、キャップを開けて一口飲むと、何とも甘い幸せが体の中に流れ込んだ。
「美味しい。」美和が言うと、斎藤健太は嬉しそうに、「美味しいでしょ。」と頷いた。
甘いコーヒーも悪くない。クリーム入りのこのカフェオレは、本当に甘くて、しあわせで、美味しい。
美和は、隣に座っている斎藤健太を眺めた。
スタイルも抜群な男ではない。お顔も特別綺麗なわけではない。仕事だって、美和は張り合いたいくらいなのだ。
でも、ちょっと気を抜いてみると、もしかすると、しあわせは近くにあるのかもしれない、等と思えてくる。
「どうしました?」斎藤健太に聞かれて、「いえ、別に。」と美和は答えながら、カフェオレをゆっくりとあじわっていた。
「今日はいつもより、可愛く見えますよ。」

斎藤健太に言われて、美和はもう、以前のように、冷たく言い放つ気分にはならなかった。

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