コーヒーと優しい時間

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私は北海道の中心部にある富良野市で生まれ育ちました。
富良野は四季がはっきりとしていて、夏は25度以上になる日もあり、そして冬は氷点下20度以下になる日もあったり肌で季節を感じることができる大好きな土地です。

 

そんな田舎の風景の中にある小さな農家が、私の生まれ育った家です。
都会と違って街頭などは無くて、周りは水田や畑だらけで隣の家とは数百メートルも離れているような、のどかで静かなところです。
私が中学生になった頃に、市内に1件しかない本屋さんで1冊の本が目に留まりました。

 

毎日学校帰りに、この本屋さんに立ち寄って立ち読みをするのが日課になっていた私は、その日もいつものようにマンガの立ち読みをしていると、店のおじさんが「長い時間の立ち読みはダメだよぉ~」と言いながらハタキで本棚の埃を叩きながら通り過ぎていきます。
この光景はいつものお決まりで、おじさんは目を細めながら優しく言っているだけで「立ち読み禁止!」というような強制力は微塵も感じることはありません。

 

おじさんは私の立っていた隣にある「趣味娯楽のコーナー」の棚に、ある1冊の本を補充しました。
「何の本だろう?」と思い、頭を少し右に傾げて見てみると『コーヒーの魅力』と書かれた単行本サイズの本でした。
おじさんは「マンガもいいけど、こんな本には興味はないかい?」と話しかけてきたので何気なく手に取って表紙を見ると、ドリップでコーヒーを淹れている写真でした。

その中に写っていた、お湯で丸く膨らんだ豆からほのかに立ち上っている柔らかい湯気の感じが、何となく私の気持ちに触れたのです。
手に取ってパラパラとめくって軽く流し読みをしていると、いろいろなコーヒー豆や器具等の説明が載っていました。
本の裏側をみると定価780円。その当時の私のお小遣いは月2,000円だったので、買えない金額ではありませんでした。

 

それと何となくちゃんと大人になれるような気がしたこともあって、「よし!」と小さく頷いて買ったのです。
この本は中学生の私でも分かりやすい内容で、コーヒーのことを知らない初心者が少しづつコーヒーに興味を抱き始めて、さらに奥深いコーヒーの世界へ入っていくための手引書になりうるものでした。

読み進んでいくうちに私はコーヒーというものに、ものすごく興味が湧いてきて、もっともっといろんな事を知りたくなってきました。
最初に興味を持ったのは、「コーヒー豆の産地と種類」でした。
私の住んでいた田舎ではネスカフェのインスタントコーヒーが一般家庭で飲むコーヒーの主流で、その当時は粉状のコーヒーしかなかったのが、顆粒状(フリーズドライ製法)のコーヒーがテレビ、CMで頻繁に流されるようになってきていて、スーパーで初めて顆粒状のインスタントコーヒーを買って、コーヒーカップに入れた時のお湯への溶けやすさに感動をしていた時代でした。

 

ですから、この本を読んで初めて「コーヒー豆ってこんなに種類があるんだ!」と驚きました。
当時の私は、コーヒーの原料は豆ということは知っていましたが、大豆や小豆のように一括りの表現で言うようなものと思っていました。
なんとも農家の息子らしい発想です。

そして初めて知った「コーヒーベルト」という地域です。
コーヒーベルトとは赤道を挟んで南北緯25度の間の地域のことで、その中のおよそ70ヶ国で栽培されているというのです。
それぞれの国で栽培されているコーヒーが、普段私たちが耳にする呼び方になっていることを知りました。

 

例えば「モカマタリ」はイエメン、「コナ」はハワイ、コーヒーの最高峰と呼ばれている「ブルーマウンテン」はジャマイカなどです。
今のようにインターネットもなかった時代は、本や雑誌から情報を得ることしか方法がなかったので、私にとってこの「コーヒーの魅力」という本は宝物になっていました。

自宅から200メートル離れたところに幼なじみの女の子がいました。
同じ年で幼稚園からずっと一緒に遊んでいたその子の名前は小杉里香、私はリカちゃんと呼んでいました。
リカちゃんとはクラスも同じで、毎朝学校に行くときも一緒でした。

 

私はリカちゃんに「コーヒーの本を買ってから、とにかくコーヒーのことを何でも知りたくなってしょうがないんだ」と話しました。
するとリカちゃんは、物事にあまり夢中にならない私がそこまでハマっていることに興味をそそられたようで、「私にもその本読ませてくれない?」と言ってきました。

私はリカちゃんがコーヒーに興味を持ってくれたら、共通の話題が出来て会話が弾むと思いました。
「本当!読んで読んで。」さっそくリカちゃんに渡しました。
3日後の朝、いつものように「おはよう」と明るい声でやってきて「まぁちゃんがハマっている理由が何となく分かったような気がする」と言ってきたのです。

 

まぁちゃんとは、私の名前が雅春なのでそう呼ばれています。
「私もコーヒーのこともっと知りたくなったの。二人でもっといっぱい情報を集めて知識もつけて、将来一緒に素敵なコーヒーショップでもやれたら楽しいかもね。」と丸い目を大きく開いて、私のお尻を軽く何度もたたきながら話をしてくれました。

「リカちゃんと二人でコーヒーショップかぁ~・・・」思いもかけない言葉を聞かされて、私は何ともいえないほんわかとした気持ちになっていました。
「リカちゃん!その話乗った!!」気が付いたら二人してお互いの背中をたたきあい合いながら、はしゃいで歩いていました。
そんな夢を語り合いながら私とリカちゃんは地元の高校へ進み、卒業式を迎えました。

これからお互い違う進路を歩むことになります。
卒業式の前日にリカちゃんと話をしました。「これからお互い別々になってしまうけど、前に話してくれたコーヒーショップのこと忘れないでいるから。」
そう言って、これからどうなっていくのか分からない将来に希望を持って進んで行こうと思いました。

高校卒業後、私は札幌の大学に進学してリカちゃんは青森の大学に進学をしました。
幼稚園から高校まで毎日顔を合わせていた二人でしたが、離れてからは一度電話で話をしたくらいで会うこともなくなっていました。
私は少しでも親の負担を軽くしたいと思い、学費だけは出してもらいましたが生活費は自分で稼ごうといろんなアルバイトをしました。

そしてまとまったお金が入って余裕ができた時に、コーヒーの機材を買っていました。
写真でしか見たことのなかったコーヒーミルを初めて手にした時は興奮しました。
木目調素材のコーヒーミルは高級感が漂い何となくリッチになったような気分にさせてくれます。

 

大学を卒業する頃には、コーヒーミルが5個、サイフォン一式、エスプレッソマシーン、ドリップポット、ネルドリップ、ペーパードリップ、コーヒーメーカーが揃っていて、部屋の一角にインテリアとしても飾っていました。

大学を卒業後、札幌の会社に就職をした私は初任給で1万円のコーヒーミルを買いました。
コーヒーを淹れる器具が増えたことで、その特徴を生かして豆の挽き方も粗挽き、中挽き、細挽きと変わってきます。
そんなこだわりのコーヒーが好きでした。

そんなこだわり男の私にも彼女がいました。
彼女は福岡の出身で、ドラマ「北の国から」の景色に憧れて北海道に来ました。
私の高校の先輩がススキノでやっている居酒屋で何度か顔を会わせるうちに付き合うようになりました。
彼女が憧れていた富良野出身ということもポイントが高かったと思います。

 

そんな彼女を誘って6月のとある週末に富良野へドライブに行くことにしました。
6月の北海道は1年の中でいちばん過ごしやすい時期なんです。
それは暖か過ぎず、寒すぎず、快晴の日はまさにドライブ日和なんです。

私にはどうしても彼女を連れて行きたかった場所がありました。
それは『珈琲 森の時計』です。富良野在住の作家倉本聰さんのテレビドラマ「優しい時間」で主人公が開いた喫茶店です。
この店の大きな窓から見える緑の森は、富良野の季節の移ろいを肌で感じることができます。

 

カウンターに座ってコーヒーを注文すると、一人一人にアンティークな木目調のコーヒーミルとコーヒー豆を渡してくれます。
それを自分のペースで静かにゆっくりと回しながら挽いている時が、まさにドラマの題名にもなった「優しい時間」という表現がピッタリなんです。
お店の雰囲気、流れている音楽、ここには目で森の香りを感じて、鼻でコーヒーの香りを愉しみ、ゆっくりと過ぎて行く時間を心で感じることができる最高の空間があるんです。

 

カウンターの中には物静かな渋い雰囲気のマスターがいて、それが何ともいえず自然体で素敵なんです。
私もマスターのような年の重ねかたをできれば最高だなぁと憧れてしまいます。
ゆっくりと静かな時間が流れていくこんなお店は都会にいてはめぐり合えません。

ドラマの世界で憧れを抱いていた彼女も、この『珈琲 森の時計』の虜になっていました。
「本当に連れて来てあげて良かった。」私は気持ちが高揚しながらも、この静かな時間を彼女と一緒に過ごしました。
この日をきっかけに、彼女は私のコーヒー好きにも理解を示してくれるようになりました。

私の部屋に飾ってある木目調のコーヒーミルを手に取って、「ねぇ、今度は秋の紅葉の時期にまた森の時計に行ってみない?」と彼女のほうから誘ってくれました。私の故郷である富良野の話を楽しそうに語っている彼女の姿を見ていて、とても可愛く思えました。
彼女は「将来年を取った時に、あんな素敵な喫茶店ができたらいいなぁ~」と私の淹れたコーヒーを飲みながらもの思いに浸っていました。

その後も彼女と一緒に札幌を出てドライブをしながら田舎町を訪ねては、どこかにいい喫茶店がないだろうかと探索するようになりました。
いつの間にか、この素敵な店探しのドライブが二人の共通の趣味になっていました。
ある田舎の牧場では、放牧をされて草を食んでいるたくさんの羊を眺めながらコーヒーを飲むことができるログハウスの喫茶店があったり、森の中にひっそりとたたずんでいて、窓ガラスが絵画の額縁のようになっていて、そこから見える木々にリスや野鳥たちがやってくる自然と一体化しているカフェだったりと、新しいお店を発見する度に感動していました。

 

彼女はもう完全に北海道の魅力に引き込まれていました。
「私はもっともっと北海道を知りたいから、これからもずっと北海道で暮らしたい」と楽しそうに話をしてくれました。
そして彼女と付き合い始めて半年が経過した頃、思わぬ事態が起こったのです。

 

彼女のお母さんが脳梗塞で倒れて入院をしたという連絡が入ったのです。
お母さんは彼女が10歳の時に離婚をして、それからは母一人子一人で生活をしてきたそうで、彼女が親元を離れて遠い北海道に行きたいと言った時も「私のことは心配しなくていいから、自分の好きなことをやりなさい」と言って送り出してくれたそうなのです。

 

急な連絡を受けて福岡に帰った彼女から数日後連絡が来ました。
お母さんは一命を取り留めたのですが、左半身に麻痺が残ってしまい今後はリハビリをしながらの生活になるとのことでした。
お母さんの身内は彼女しかいないので「大好きな北海道だったけど福岡に帰ることにした」とすすり泣きながら話してくれました。

 

入院中のお母さんを置いて戻ってきた彼女は、5日間で身支度をして福岡へ帰ることになりました。
そして北海道最後の日の夜、彼女と一緒に最後の晩餐です。
彼女と一緒に過ごした時間はたったの半年間でしたが、とても充実していて楽しかったこと、そしてこれからも北と南で遠くなってしまうけど遠距離交際でやって行こうとお互いの想いを確かめ合いました。

 

これから彼女は福岡で仕事を見つけて、お母さんの介護をしながらの生活になるので大変です。
だから私がまとまった休みが取れた時に彼女に会いに行くことを約束しました。
「必ず会いに行くから待っててね。」

私は彼女にいつでも私のことを思い出してもらえるようにと、私がいちばん大切にしていた木目調のコーヒーミルを彼女にプレゼントしました。
「このコーヒーミルで豆を挽く度に私のことを思い出して。」との思いを込めて渡しました。
彼女は私がこのコーヒーミルをどれだけ大切にしていたのかを知っていたので、「本当にもらっていいの?あなたの顔を思い浮かべながら大切に使わせてもらうね、ありがとう、ありがとう」と言葉を詰まらせて泣きじゃくりながら何度もありがとうと言っていました。

そうして私と彼女の新しい形の交際がスタートしました。
電話やメールができる時代に生きていて、本当に良かったなぁ~と思いました。
ある時「手紙でも書いてみようかなぁ」と思い、私は人生で初めて女性に手紙を書きました。

電話やメールと違って自分の想いを素直にペン先に伝えることができて、便箋に書き出される言葉一つ一つに温かみを感じてもらえるような気がしました。
彼女も「お手紙ってあの富良野の”珈琲” 森の時計で飲んだコーヒーのような優しい温かさがじんわりと伝わってくるようで素敵ね」と言って、お互いの気持ちを確かめ合っていました。

私は年に1度、5日間の休みを取って福岡の彼女に会いに行っていました。
彼女のお母さんとも何度も会って話をしているうちに、最初の頃の堅苦しさも消えて普通の親子のような感じになっていました。
遠距離交際を始めて2年が経った頃、彼女が買い物に行っている間に私がお母さんの車いすを押して散歩に出かけました。

 

するとお母さんの口から「雅春さん千秋のことよろしく頼みますね」と私の耳元に顔を近づけて小さな声で言ったのです。
「あの娘には好きな事をさせて上げたかったのに、こんなことになって申し訳ない」と遠くを見ながら目に涙を溜めて話していました。
私はこの姿を車いすのハンドルを握りしめながら見ていました。

札幌に帰ってきて部屋で一人コーヒーを飲みながらお母さんの言っていたあの言葉を思い出していました。
そしてあることを思いついたんです。
「彼女とお母さんを北海道に呼ぼう!」どうしてこんな簡単なことを今まで気が付かなかったんだろう。
私は早速彼女に手紙を書きました。今の自分の気持ちがいちばん伝わるのが電話でもメールでもなく便箋10枚にもなった手紙です。

「彼女のお母さんさえ良ければ大丈夫なはず!」私は彼女からの返事を待つまでもなく、すぐに福岡へ向かいました。
そしてまず彼女に「結婚しよう」と言いました。プロポーズの言葉は「君とお母さんの三人で一緒に北海道で暮らしたい。そして北海道の広大な景色と草原の息吹を感じてもらいながらお母さんに元気になってもらいたいんだ。」彼女は目にいっぱいの涙を溜めて小さく頷きました。

「よし!じゃぁ僕がお母さんを説得するよ!」と言ってすぐにお母さんがいる部屋に行きました。
するとお母さんは、私が彼女に出した手紙を彼女から渡されて読んでくれていたらしく、「面倒ばかり掛けるのにどうしてそんなに優しいの?」と私の服の袖を力いっぱい引っ張りながら言ってくれました。

 

長年住み慣れた福岡を離れることは辛かったでしょうが、私を頼ってくれた彼女とお母さんには感謝です。
その半年後私と彼女は結婚しました。1年後一戸建てのマイホームも購入しました。
もちろんお母さんも一緒です。車いすでも楽に移動ができるようにバリアフリーにしました。

そしてあの時と同じ6月の快晴の日に彼女から妻になった千秋とお母さんの三人で、私の故郷富良野の『珈琲 森の時計』に行きました。
私、お母さん、千秋と三人でカウンターに並んで、最高の笑顔でゆっくりとミルを回しながら優しい時間を過ごしました。
すると何気なくカウンターの隅を見ると、微笑みながらこっちの様子を見ている女性がいました。

一瞬目が合って2.3秒の間があって、「アッ!」と声を出してしまいました。
なんと!そこにいたのは、幼なじみのリカちゃんだったんです。
たまたま休みを取って帰省していたらしくて、「まぁちゃん結婚おめでとう。うちのお母さんから結婚したって聞いてたよ。」

さっそく私はリカちゃんに千秋とお母さんを紹介しました。
「まぁちゃん流石!ちゃんと素敵なお店を知ってるね。将来富良野に戻ってきて、こんな素敵な喫茶店を奥さんとやったら?、そうしたら私が帰ってきた時に毎日来るからさ。」そう言って高校時代に「将来一緒に素敵なコーヒーショップをやりたいね」と言っていた話を千秋とお母さんにも話をしていました。

やっぱりこの『珈琲 森の時計』は素敵な優しい時間を演出してくれる最高のお店です。

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