母と私のコーヒーカップ

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実家の食器棚の奥に2組のコーヒーカップが並んでいる。片方は素焼きのカップアンドソーサーでカップの側面には葉っぱのデザインが施されている。

もう一方は釉が塗られているもので、光のあたり具合によって色合いが変化する。私が物心ついた頃には既に2組とも食器棚に入っていた。途中で一度引越しをしたが、その時にもこれらは捨てられることなく運ばれて、新しい食器棚の奥に収まった。別にそれだけなら何の変哲も無いただのコーヒーカップなのだが、不思議なのはこのカップを家族の誰も使わないところだ。幼い頃はもちろん私自身がこんなカップを使うことはなかったのだが、両親が使っているのを目にしたこともない。

 

両親は週末の朝食の時にはコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて飲むのが習慣なのだが、その時には別のカップをずっと使っている。そのうち私もコーヒーを飲むようになったのだが、なんとなく私のカップと決まっているコーヒーカップがありもっぱらそれを使っている。2つ下の弟もコーヒーを飲むが、彼も別の「なんとなく彼の」と決まっているカップを使っている。

 

幼い頃の私はその使われないコーヒーカップのうち、特に釉が塗られている方がお気に入りで食器棚の前に踏み台を置いてそこに上っては眺めていた。一度母に聞いたことがある。「これ何で使わないの?」と。すると母は何も答えずただ笑っていた。幼心に何かが分かったような気もしたし、何も分からなかった気もしたが、それ以上訊くことはなかった。その後私も大人になり、この2組のカップの意味が何となく分かってきた。結婚前の母の恋愛の思い出の品なのではないか、と。家族の誰も使わないカップ、ずっと食器棚の奥の方にひっそりとしまわれているカップ。母は若い頃からコーヒーが好きだったと言う。きっとコーヒーのようにほろ苦くて甘い思い出があるのだろう。

 
私の家にもそんなカップがある。軽井沢のコーヒー専門店のグッズだ。2組のカップアンドソーサー。今は食器棚の奥にしまわれている。昔は使っていたが、今はもう使うことはなくなった。それでも捨てることはなく、棚の奥にそっとしまってある。これを捨てることはこの先もないんじゃないかと思う。
20代の前半の頃、恋をした。いわゆる合コンで知り合った男性と付き合ったのだ。合コンに出ることは別に珍しいことではなかったし、そこで連絡先を交換して何回かデートに出かける、と言うのもよくあるパターンだったが、数回のデートで関係が切れることが続いていた。私の方も真剣に付き合うことまで求めていなかったし、相手の男性達も同じだった気がする。ただその人とは会うことが続いた。何故だかよく分からないし、こんな風に言うのは気恥ずかしいけれど、彼にとても惹かれたからだと思う。2つ年上の人で、いわゆる交代制勤務の職場で働いていた。体を鍛えることも仕事のうちといった感じで、ランニングや山登りが日常という人だった。私はカレンダー通りの勤務の職場なので、休みのタイミングはなかなか合わなかったが、短い時間でも会うのが楽しみだった。彼の夜勤明けと土日が重なると、よく朝の喫茶店で待ち合わせをした。夜勤の状況次第で彼の疲れ具合は明らかに違って、何も言われなくてもその顔つきを見ると何となく分かった。そして、彼が飲むものを見ていてもそれは分かった。私たちはいつもその喫茶店お勧めのブレンドコーヒーを頼み、食欲があればトーストやサンドウィッチをそこにつけることもあった。彼はブラックで飲むこともあれば、コーヒーミルクや砂糖を入れることもあったのだが、それが彼の疲れ具合のバロメーターだったのだ。あまり荒れなかった夜勤明けにはブラックで、荒れた夜勤明けの時にはたっぷりの砂糖とミルクを入れて。疲れた体は甘いものを欲すると言うけれど、本当にそうなんだなと彼を見ながら思った。彼がたっぷり砂糖とミルクを入れた日には、一杯のコーヒーを飲み終えて別れることもあった。友達からは「そんなデートでいいの?」と訊かれたこともあるけれど、私はそれで一向に構わなかった。何の予定もない土日は昼過ぎまで長々寝てしまうことも多かったので、彼と朝のひと時を過ごして別れた週末は、一日がとても長い感じがして楽しかったから。

 
一回だけ、軽井沢に旅行に行った。彼が私に合わせて夏休みを取ってくれたのだ。夏休みといってもピークは外して、平日だったので、どこもかしこも大混雑と言う状況は免れて、のんびりと過ごすことができた。私は観光をたくさんして回りたいという希望はあまりなく、アウトレットで一日過ごしたいということもなかったのだけれど、どうしても行きたいところがあった。軽井沢のコーヒー専門店だ。関東エリアにも店舗がないではなかったが、せっかくなら軽井沢で行きたかった。ホテルの朝食をパスしてその店に向かい、コーヒーとトーストを頼んだ。想像していたよりもずっとコーヒーは美味しくて、お店の雰囲気もとても好みだった。いつもはあまりそうした店に長居することはないのだけれど、その時も私は旅先ということもあったのだろう、ケーキまで頼んでかなりのんびり過ごした。彼はお酒も強いが甘いものも大好きという口だったので、彼も喜んでケーキを追加注文していた。私が大喜びしているのを見て取ったのか、会計前に彼が珍しくグッズ売り場に寄って「これを買おうか?」と指差したのがコーヒーカップだった。彼のそんな気持ちがうれしかった。カップを2組買って、割れないように割れないようにといつも以上にヒヤヒヤしながら持って帰った。旅行が終わり、東京に戻ってきて駅で別れる時、「うちに置いておくから、一緒に使おう」と言って彼は2組のカップを持って行ってくれた。誰と旅行してもそうなのだが、私は旅行の終わり、別れ際が苦手だ。日常から離れてある意味濃密な時間を過ごした後、日常に引き戻されて、一緒に旅した誰かがいなくなる感じがとても寂しいから。その日もとても寂しくて、自宅の最寄り駅まで帰ったもののそのまま家に帰る気持ちになれなくて、駅前の喫茶店に寄った。いつもブラックで飲むのだけれど、その日は彼のことを思いながらたっぷりの砂糖とミルクを入れて飲んでみた。味はやっぱりブラックの方が好みで、思わず一人で苦笑いしてしまい、それで逆に元気が出たのをよく覚えている。
軽井沢旅行の後初めて彼の家に行くと、リビングのテーブルの上にあのカップが並んで置かれていた。コーヒーメーカーで淹れたコーヒーをそこに注いで飲むと、いつものただの普通のコーヒーが、なんだかいつもより美味しく感じられた。ただただ気のせいなのだけれど。その後も彼の家に行くたびにそのカップで二人でコーヒーを飲んだ。お互いの年齢的なこともあって、このままずっと二人でコーヒーを飲む日が続くに違いないと思っていた。でも人生というのは本当に不思議なもので、結局そうはならなかった。次の夏が来る前に彼とは別れた。喧嘩別れとか、浮気だとか、嫌いになったとか、そういうことではなくて、彼の家族の事情だった。昔はそんな「事情」で好きな人と離れ離れになったり、何か大切なものを諦めるなんて、大人はつまらない、なんて思っていたけれど、実際にその状況になってみてよく分かった。どうにもならない家族の事情というのもあるのだ。彼が置かれた状況を考えれば、「あなたの家族じゃなくて私の方を優先してよ!」なんてとてもとても言えなかったし、そうして欲しくもなかった。別にカッコつけていい人のふりをしたかったわけではない、物分かりのいい人なわけでもない。ただ、どうにもならなかったのだ。彼は仕事を辞めて実家に戻ることになり、そこでまた同じ仕事に就くことになった。彼の引っ越し準備を手伝いに行った時、あのカップを彼から渡された。もちろん、お互いに1組ずつ持って行くという選択肢もあったのかもしれないけれど、彼は「よかったら」と言って2組とも私に差し出してきた。私も自然に受け取った。それでよかったんだと思う。彼がいよいよ東京を離れる日の朝、彼の夜勤明けにいつも待ち合わせた喫茶店に一緒に行った。いつも通りブレンドを1杯ずつ頼んで、二人ともブラックで飲んだ。文字通り別れの一杯だった。その後彼を空港まで送って行ったのだけれど、私は恥ずかしいぐらいに泣いた。大泣きしながら、「ドラマやなんかじゃないんだから」とどこか冷静な自分もいたけれど。その日もやはりそのまますぐに家に帰る気になれなくて、空港内の喫茶店に入った。たくさんの砂糖とミルクを入れて、ちびちび飲んだのだけれど、その時は味も分からなかったから、軽井沢旅行の後にように苦笑いが浮かぶこともなかった。
それから時間が経って、私はまた別な人を好きになり、その時は特段の「事情」も持ち上がらず、その人と結婚した。結婚前にその人が一人暮らししていた家に私が越す形で同居を始めたのだけれど、その時にあの2組のカップも持って行った。それで今も食器棚の奥にそのカップは並んで入っている。それを使うことはない。食器棚の奥の方に滅多に使わない皿などと一緒になってしまわれているので、夫はもしかするとそのカップの存在にすら気づいていないのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら、私は実家の食器棚を開けた。この週末は夫が学生時代の友人の結婚式に出る為に四国に泊まりがけで行っていて、私は実家に帰ってきているのだ。父と弟は出かけていて、家には今は母と私の二人だけ。食器棚の奥に手を伸ばし、あの素焼きのカップと釉の塗られたカップを取り出してみた。「ねえ、お母さん、今日はこれでコーヒー飲もうよ」、カップを掲げて母を呼ぶと、リビングにいた母が振り返り、いたずらっぽく笑った。「じゃあ、この前買ったとっておきの豆を出そうか」と母は立ち上がり、キッチンに向かって来る。このカップで母とコーヒーを飲みながら、どんな話をしよう。

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