ブラックコーヒーのように苦い恋

営業の仕事で寄った20年ぶりの吉祥寺の駅。ようやく秋めいてきて、通りの木々もだいぶ色づき始めている。そうだ、あの時の喫茶店まだ、やっているだろうか。そう思い、次の訪問予定先までだいぶ時間があったのでちょっと足を伸ばしてみることにした。駅から10分ほど歩いたところに喫茶店はあった。そう、僕が20年前の高校生の頃、学校帰りによく通っていたあの喫茶店だ。少しドキドキして古い木製のドアを開けてみる。カラン、カラン。ドアに取り付けた銅製のベルが鳴り、いらっしゃいませ!と若い20歳くらいの女性の店員がカウンター越しから声をかけてくれた。
やっぱりあの時の髭のマスターはもういないんだ、そりゃそうだ、20年も経つものなと一人で納得してテーブルについて、ブレンドコーヒーを一つ注文した。高校生の頃、コーヒーを頼む時にはミルクや砂糖を入れないのが本当の味のわかる飲み方だということをどこかで聞いて、初めてブラックコーヒーを飲んだのもこの店だ。しばらくしてコーヒーが運ばれてきて、僕はあの頃と同じように砂糖もクリームも入れず、一口すすった。正確にあの頃の味なんて覚えていないけれども、なんだか懐かしく、切ないような味がした。
店の中を見回すとところどころ新しくなっているものの、ほぼあの頃のままで、なんだかタイムスリップしたみたいだ。そして、あの頃付き合っていた彼女のことを思い出した。20年前、僕が高校生の時に通学途中にあるこの喫茶店は当時付き合っていた同級生の女の子とよく学校帰りに寄っては、好きな音楽や映画、小説などの話をしていた店。大学受験前ということもあって、ここはオアシスのような存在だった。僕は彼女のことが大好きで、紙ナプキンを細く切り裂いて何本かの紐にしてそれをおたがいが一本づつ結んで一つになれば二人は結ばれるなんて遊びもしたっけ。今となってはちょっと気恥ずかしい思い出もここに来ると昨日のように思い出される。
今、彼女はどうしているだろうか。

当時僕は高校ではサッカー部に所属していたが、高校2年の時に弱小と言われるサッカー部の主将に指名され、少しでも先輩やOBの期待に応えるべく、ハードな練習に明け暮れていたあの時にグランドの向かいの校舎からいつもサッカー部の練習を見ている女の子がいた。それが彼女だった。その頃、サッカー部には僕の友人で学校でも一番のモテ男がおり、僕はおそらくそいつのことを見ているもんだと思い、部活帰りにそいつをからかったりしていた。そして程なくして学校ではその子と友人が付き合っているという噂を聞いて、確信した。その友人は学校一のイケメンでスタイルも良くおしゃれでバレンタインデーなどはいつも女の子からたくさんチョコレートをもらっているような典型的なモテ男、またその子も学校でも一番の美人で中学校時代から地元の同級生の男子から絶大な人気があり、高校でもミスナンバー1になったような子で美男美女のカップルということで皆納得していた。そんなある日、いつもの部活帰りにその友人が腹が減ったのでラーメンでも食べて帰らないかといってきたので、おお、いいよ。といって僕らが学校帰りに行くいつものお気に入りのラーメン屋に寄ることにした。ここのラーメン屋は塩ラーメンがうまいので有名で、僕らサッカー部員はハードな練習後などは自分へのご褒美にとばかり、よくみんなで食べに行く定番の店となっていた。そしてそこでいつも注文する塩ラーメンを頼んだのだが、ラーメンが運ばれてくるまでの間、特に話題もなかったので、僕の方から何の気なしに、あの子とはうまくいってるのと何気なく聞いてみた。すると友人は急に憂鬱そうな顔をしてしばらく黙っていたが、その後、本当は言いたくなかったのだけれど、実は、彼女、お前のことが好きなんだよ。と思いもよらないことを言った。その後ラーメンが運ばれてきたが、信じられなかった僕は、箸にも手をつけることもできず、嘘だろう、冗談言うなよと言ってみたが、彼は青い顔をして固まったままだった。その後、二人は黙ってラーメンをすすって、店を出た。

その後、改めて友人から説明されたのだが、どうやら彼の話は本当らしかった。彼女は僕に気があったが、当時僕にも付き合っていた子がいた。彼女のことが好きな友人は相談に乗りつつも彼女のいる僕を諦めて自分とつきあうように説得し、彼女と付き合うことができたそうだ。その後付き合いを続けていたもののいつまでたっても心が自分にないと思うと彼は苦しくなり、僕に告白したというわけだ。
ただ僕には付き合っている彼女がいたし、彼も仲の良い友人だったので、その話は聞かなかったことにしていた。それから半年くらいして、僕はある理由でそれまで付き合っていた彼女と別れて、サッカーに没頭していた。そして高校3年生になり、修学旅行に行った時のことだった。その日の見学を終え、宿舎に戻り、食事を終えて各々が各部屋に戻った頃、友人に呼び出され、話を聞くと彼女が高校最後の思い出に一緒に写真を撮ってもらえないかとのこと、ちょっとドキドキしながら呼ばれた場所に行くとその子は恥ずかしそうな顔をして立っていた。そこには今まで高嶺の華であったミス高校の姿はなく、純情で可愛らしい素のままの彼女の姿があった。そしてそこで友人とともに一緒に記念写真を撮ったのだが、僕はそれまで自分でも気づかなかった彼女に対する想いを確信した。友人への義理、そして魅力的な彼女が自分との不釣り合いだと思い、気持ちをごまかしていたのかもしれなかった。
そして程なくして彼女と付き合うことになった。3年生になると大学受験のため部活は引退となり、授業が終わると帰りには自転車で2人で図書館に寄って一緒に勉強したり、気分転換に喫茶店でコーヒーを飲みながら、好きな音楽、映画、小説のことなど話した。そうして大学受験後、志望校を目指すため僕は浪人し、彼女は専門学校に進学することになった。僕は彼女と一緒に浪人したかったが、彼女は始めから浪人するくらいなら専門学校に行くと決めていたようだった。そこから、僕は学費と生活費のためバイトをしながら予備校に通った。予備校の友人には、彼女の話をしていたので、彼女はどうせ、専門学校にもう彼氏ができてるよなんて、からかわれたが、僕は彼女がそんな子ではないと信じていたので、気にも止めなかった。というものの本当は心配だったのかもしれない。ある日予備校からの帰りに電車に乗って家に帰ろうと反対側のホームに目をやった時、たまたま彼女が専門学校生のチャラチャラした男と楽しそうに笑っているところを見てしまった。電車の中からだったので、そのまま黙って家に帰ったが、胸の中がざわついた。その後、受験が近いためしばらく会わなかったが、彼女は時々手紙をくれた。その中には専門学校の友達のこと、外国に旅行したこと、とてもキラキラした内容が羨ましかった。僕も専門学校に行けばよかった。そんな思いだった。とにかくその思いを払いのけるように勉強し、なんとか志望校に合格した。

そして、久しぶりに彼女に会ったのだが、何かがあの頃と違っていた。僕は高校3年生のまま、彼女は就職を控え大人びた感じで、以前より増して魅力的だったが、その分、何か距離ができてしまったように思えた。考えてみれば彼女と僕は全てが違っていた。彼女は高校でも一番の美女。性格は穏やかで、ファッションセンスも良く誰からも愛され、友人も多い。彼女の家は高級住宅地の一軒家で父親は会社の経営者だそうだ。弟が一人いて聞いたところ、家族皆仲が良いそうで、子供の頃から毎年冬になると家族でスキーに行っていたらしい。
比べて僕は、特に目立って人より優れたものはなく、家も裕福ではなかった。僕の家は父親と折り合いが悪かったため僕と兄は中学生の頃から父親と離れたアパートで二人で暮らしていた。たまに母親がご飯を作りに来てくれたこともあったが、共働きで忙しいため、弁当を持ってくれるか、もしくは幾らかの食費を貰って、コンビニ弁当などで毎日済ませていた。風呂なしのアパートのため、風呂はもっぱら銭湯だった。思い出せば小学生の頃からそうだった。共働きで忙しい両親は家に帰ってくるのがいつも深夜になるため、僕ら兄弟は、毎日500円を与えられ、それで学校帰りにスーパーなどで菓子パンやジュースを買ってそれで済ますことが多かった。1歳違いの兄と食事をして、テレビを見て、風呂に入って、歯磨きをして、布団を敷いて寝るのだが、何か不安でなかなか眠りにつけない。夜中12時頃にドアの鍵がガチャガチャして、両親が家に入ってくる音を聞き、安心して眠りについたものだった。育った環境が違いすぎたのだった。彼女が当たり前にしている全てが僕には羨ましかったのだ。
彼女は何も悪くなかった。たまに会う時にはニコニコして嬉しそうに話を聞いてくれ、誕生日には、手作りのパジャマやクッションをくれた。受験前は勉強が忙しくなかなか会えないため、わざわざ手紙を書いてくれた。何一つ欠点がなかった。彼女が素敵であればあるほど自分が惨めに見え、嫉妬心から僕は何かにつけ彼女にあたり、冷たく振る舞い、彼女を傷つけ、そして最後には彼女から別れを告げられた。まるで赤ん坊のように自分で積み上げた積み木を壊すように自分を制御することができなかった自分が恨めしかった。
しばらく焼け酒を喰らい、半年くらい経った頃、友人から、彼女が新しい恋人ができたことを聞いた。それは専門学校のあのチャラい男ではなく、なんと高校時代の僕の友人だった。そしてその後、しばらくしてその友人と結婚したと風の噂で聞いた。その噂を聞いた時、切なく悲しい反面、偽善ではなく、心からよかったと思った。

おかわりはいかがですか。気がつくと目の前に店員の女性が立っていた。気がついたら、1時間も思い出にふけっていたようだ。いえ、結構です。もう出ますからといって会計を済ませ外に出た。夕刻も近くなり、冷たい風を肌に感じ、コートをきつく絞めた。しばらく歩いてふと振り返って見ると本当にこの店はあの頃のままだ。あれからあの子は今も幸せに暮らしているのだろうか。舌に残ったブラックコーヒーの苦味を味わいながら駅に向かった。

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