やさしいコーヒー

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いつも通りの朝、朝ごはんの準備をおえて、コーヒーを淹れる。
コーヒーの淹れ方は中学校の頃、母が教えてくれた。ドリップ式のフィルターの紙を丁寧におり、少し紙にお湯を回していれてから、粉をいれ、あとはゆっくりゆっくりフィルターの中のコーヒーにお湯全体が通って落ちていくように途切れない程度に、フィルターのお湯が減り続けない程度に上手にお湯を乗せていく。その真剣な時間とともに流れてくるコーヒーの香りが昔からずっと大好きだった。そんなことを考えながら過ごしていると、子供たちが匂いにつられたかのように駆け足で降りてくる。もう気が付くと上の子はコーヒーを飲みたがる年頃に成長している。昔の私もこんな感じだったのかな、そろそろおいしいコーヒーを淹れてもらおうかな…などと妄想しつつ、日々の学業で忙しい子供たちは親の思いなど知らずに一生懸命過ごしている。そんな嬉しいような悲しいような幸せなような不思議な気持ちになるときは決まって学生時代のことを思い出してしまう。学生時代その時、その一瞬が楽しかったし、つらい思い出もあったりして、いろんな思いが詰まって誰にも打ち明けられないけれど、やっぱり鮮明に出てくるのは恋の話になってしまう。その時に大好きだった人の顔を思い出してはにかんでみたり、当時を思い出してちょっとむずがゆくなったり、そんな誰にも今更話したくない恋の話は何個かでてくるのだが、時々自分の五感が覚えているほろ苦い恋を思い出すと今でも感謝したいような、また触れてみたいような感覚に落ちていく自分がいる。決して浮気とか不倫とかそういう類のものではないけれども、つい思い出すと手にしたくなって…そんな傲慢だけど誰も傷つけない背徳感。
それは私が大学生になった頃の話です。1年生になって、受験が終わり無事に大学合格して箍が外れたのかみるからに浮かれていた気持ちで大学生活をスタートさせた私は、友人らと一緒に入学式のときに誘われて入ったサークルでの活動にのめりこんで言っていた頃でした。まだ授業とサークルへ顔を出すことでいっぱいの私に、3年生の先輩はにこやかに「なんだかガッツいてるね~、焦らなくても大学キャンパスライフ?はじまったばっかじゃん?何でそんなに気合いはいってんの?」と聞かれました。私は先輩が差し出してくれたマグカップを手に持って、「だって、ゆうちゃんがたく先輩好きっていいだしたから、私もちょっといいのに~って思ってたのに…、でも二人はお似合いだし。ただ、ここに来れば会えるからちょっとでもあってポイントあげようと思って~」そんな他愛のない話を先輩に夢中で話している自分も今思うと恥ずかしい限りですが、その先輩には何でも言えたし、たく先輩に会えなくても先輩に会えたから今日は楽しかった~とすら思っていました。

 

先輩はいつも笑顔で私の話を聞いてくれて、決まってマグカップを手元においてくれました。ほろ苦いブラックコーヒーの香り、多分インスタントだとは思っていましたが、先輩は私が来ると必ずテーブルに持ってきてくれました。そんな先輩のやさしさに感謝しつつも日々の生活に夢中であまり大げさにとらえていませんでした。ふと、先輩と二人きりで過ごしているときに、20歳過ぎている大人のこの人は好きな人がいたり、将来を考えていたり、普段どんなことを思っていたりするのだろう?と気になってしまい、今日は先輩と先輩のことを話す日と思っていろいろ聞いてみることにしました。

先輩は普段からおしゃべりなほうではなく、コーヒーは淹れてはくれるもののあまり話をするのは苦手なようで、ほかの人が入ってくると笑顔でその場の空気を壊さないように帰ったり、みんなの話に相槌を打ってくれたりするタイプでした。背は170センチくらいで顔は笑うと少し目じりが下がっていまどきの顔ではないけれど、好青年といった印象で誰からも好かれるけれど、男性として魅力を感じるというわけでもなく、10代の若い女子からは落ち着いていて実家の兄を思い出す~とか、こんなお父さんだったらもっと家に帰るのにな~といじられつつも優しく笑っているようなそんなタイプの先輩でした。だから本当に先輩のなにかも知りたいなと思った自分に対しても意外な感情で、先輩におそるおそる「先輩って彼女さんとかいらっしゃるんですか~?」と聞くと、先輩から「一応ね」という返事が返ってきました。私はドクンという胸の嫌な感情に気が付きました。

今まで先輩のことを男性としても全く意識していなくていつも自分の恋バナを夢中で話していたこの人に彼女がいて、大事にしているものがあると聞かされた時、急に今までセピア色のような空間だったこの部屋が一気に現実的な世界に戻されるような気持ちになりました。それ以外何も聞くことができなくなりました。翌日も時間通りにサークルへ行こうと思いましたが、先輩に彼女がいたことの後ろめたさか、秋風が吹き始めて哀愁が漂ってきたからかわかりませんが、コーヒーにあいそうな甘いお菓子を持っていくことにしました。先輩はいつも通りにこやかにコーヒーを淹れてくれました。

私はおずおずと「今日は粗品をお持ちしました」とお菓子を出すと目じりを下げつつも「みんなが来たときに一緒に食べなよ」と返されてしまいました。それまで先輩と私は友情というか何かしらの縁があって話をしているとばかり思っていたのですが、みんなの中の一人なんだ~ということを思いっきり言われたような気がして、がっかりしている自分がいることを感じていました。今更ながら先輩を意識してしまっていた自分が今まで自分をさらけ出しすぎて、相手にもされないだろうと気持ちが沈んでいくのを感じつつ、会いたい気持ちだけで足を運ぶ日々だけは永遠に続くと思っていました。寒い時期がきて先輩がサークルにこなくなりました。ほかの先輩の話を聞くと就活が忙しくなってきてサークルに「昨日少し顔だしていたよ」とか「○○の授業は来ていたよ」とかそういう人伝えの話しか聞かなくなってしまいました。普段一緒に入れると思っていた相手が突然いなくなった、ほかの人にも自分が今更先輩のこと好きで彼女持ちだし、無理だよと宣告されるのが嫌で、この気持ちをなんとなく宙ぶらりんにして過ごしていました。年明け、久しぶりにサークルに一番乗りした私はふとおいしいコーヒーが飲みたくなって、部室内をゴソゴソ物色し始めると、先輩のマグカップ、私に出してくれていたマグカップ、そして紙袋の中にドリップ用のコーヒーセットと粉があることに気が付きました。

いつも部室で自分でついでのんでいたインスタントコーヒーとは違い、そのセットに一瞬胸が躍ったのを感じました。もしかしたら先輩は私のためにこれを用意して差し出してくれていたのではないか、彼女がいるというのはうそではないか、本当は自分のことを想ってくれていたけれど恋バナに一生懸命な後輩に冗談交じりで自分の気持ちを聞かれて、かわすためにそんな嘘をついてみたのではないか、コーヒーを一人淹れながら無意識にそんなことを考えていました。すると後ろから「へぇ~・・・そんなに上手に淹れることができたんだ」と懐かしい声がしました。懐かしいといってもほんの2週間ほど会えていない先輩の姿でしたが、先輩は私が無意識に淹れていたそのコーヒーの淹れ方に感心してくれました。

「高校時代母に教わって、自分も飲むようになってなんとなく無意識でドリップ式のコーヒーを淹れるときはこんな風に淹れるようにしています。…でも私の淹れるコーヒーよりも先輩が入れるコーヒーのほうが何倍もおいしかったです。嬉しかったです。」そう伝えると先輩に先輩のマグカップを差し出しました。先輩は一口飲んで「いろいろばれちゃったね、最初はここで一人分コーヒーを淹れてゆっくり部室に匂いが漂っていく感じが好きで飲んでたんだけれど、可愛い後輩がやってきてピーチクパーチク…最初は迷惑だったんだけどね、でも毎日キラキラ嬉しそうに笑って何気に差し出したコーヒーおいしそうに飲んでて…そして、気づいてないだろうけれど、インスタントのときはミルクと砂糖入れたりしてたのに、俺がだすコーヒーはブラックでいつもおいしそうに飲んでたんだよね。なんか嬉しくなって、つい豆のグレードあげたり、君が好きなやつできたりすると、少し味変えてこっち気づかないかな…とか思ったり…」と今まで聞いたことないような饒舌な口調で話す先輩に一瞬別の人かと思うほど話に聞き入っていたけれど、自分も答えなきゃいけないことに気が付き、「先輩、私も先輩のこと気になってます。きっとこれって好きだと思います」と答えました。それから二人でみんなに気づかれないように付き合い始めて自然な流れで付き合いが周りにも知れ渡って、お互い学生時代の残りの1年間は泣いたり笑ったり、彼が社会人になってからは泣くことも多かったけれど、一番素敵な時期だったと思いつつ、彼との甘い思い出やましてや主人との大恋愛結婚から今までのことも思い出す時間がないくらい日々の子育てに翻弄されて過ごしている今、ふと自分の時間が持てたらどんなことするだろう~と心の冒険を考える時間は決まってこの真剣にコーヒーにお湯を落としているこの時間だな…と最近気が付きました。きっとあの時にマンガのような流れで付き合いが始まったあの瞬間をこのコーヒーを淹れる時間にシンクロさせて思い出せているんだな…と思うと、毎朝の日課でどこか家族を裏切ってちょっとだけいけないことをしているような背徳感を覚えたりして、一人で笑っていると、決まって誰かがそんな母親の姿を見て「なに?気持ち悪い~?」と冷たい視線を向けたりしてきます。

いつもならそんな思春期の子供たちの冷たい言葉にムッとしたりもするのですが、今だけは仕方ないかなっ気持ちがちょっと乙女に帰っているからね。と心の中でペロッと舌を出しながら、おいしくコーヒーを飲みほしています。

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