仲直りのコーヒー

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どちらかというと紅茶党だったわたしが、コーヒーを好んで飲むようになったのはいつの頃からだろう。はっきりとは思い出せないのだけれど、いつの間にか、紅茶ではなくてコーヒーがある生活が当たり前のようになっていたような気がしてくる。今も手にしているカップの中に入っているのはコーヒーなのである。

 

さっきまではお互いにそっぽを向いて口もきかずに、ちょっと長引くケンカをしていたくせに、色違いのカップ&ソーサーでコーヒーを味わいつつ、今この瞬間、二人で顔を見合わせて、幸せだねとか言っている。まったりとした至福の時間に身をゆだねながら、ふと昔のことを思い出していた。
子供の頃は、コーヒーは苦手だったと思う。カルピスやジュースのように甘くて色も綺麗な飲み物の方が魅力的だった。白やオレンジ、ピンクや黄色、カラフルな世界はおとぎ話のようで、そんな甘い世界の方が好きだったのかもしれない。それに比べて、茶褐色のコーヒーは、子供ごころに色はかわいくないし、あまり興味のない飲み物だったこともあるだろう。

 

でもある日、大人がおいしそうにコーヒーを飲んでいるのを見て、真似してコーヒーを口にしてみたことがあった。コーヒーが飲めたら、大人の仲間入りができるような、そんなちょっと誇らしい気分になれるものと思った。でも、一口含んだコーヒーは、苦くてとてもおいしいとは思えるものではなかった。コーヒーをおいしく飲めないわたしはなんか大人の仲間入りができないようでちょっと口惜しい思いをしたように記憶している。
少し大人になって、といってもまだまだ思春期まっ只中だったけれど、当時の憧れの先輩と喫茶店でお茶をした。今から思うと、その当時のわたしにはちょっと背伸びしたデートだったのかもしれない。だって当時は、マクドナルドやミスタードーナツのようなファーストフード店でお友達とおしゃべりを楽しんでいたような時代で、いわゆる喫茶店には足を踏み入れたことすらなかったのである。だからこそ、大人なムードの喫茶店に入ること自体、胸がドキドキする冒険に感じられたのだ。

少し年上のその先輩は色白の文学青年風で、メガネの良く似合う人だった。少し年上なだけなのに、喫茶店やコーヒーがそう感じさせたのだろうか、先輩はひどく大人びて見えたものだ。その喫茶店で先輩が頼んだのはブラックコーヒー、わたしも真似してブラックコーヒーを試してみたけれど、やっぱり苦い。結局はブラックコーヒーで飲むことができなくて、ミルクをたっぷり入れて飲むことになった。そんなわたしを先輩は、まだまだ子供だなと言って軽くおでこをつついた。どうってことないできごとなのだけれど、先輩に子ども扱いされたようでもやもやした気持ちになった。子ども扱いされたのは不服だったけれど、なんだか友達以上恋人未満なようで複雑な気分だった。
そんな甘酸っぱい初恋の季節が過ぎてゆき、十分大人といえる年齢になったわたしは、普通にブラックコーヒーが飲めるようになっていた。スターバックスに行けば、フラペチーノも頼むことはあるのだけれど、昔のわたしだったら考えられなかったことに、ミルクや砂糖が入ったコーヒーの方が苦手になってしまっていた。何が変わったのかは具体的にはわからないけれど、大人になったということだったのかもしれない。

 

そんな頃つき合っていた彼には、妻子があった。向こうも本気ではなかったのだと思うけれど、遊び慣れているような人ではなかった。でも、結婚してから彼女ができたのは初めてのことだったのだと思う。だから、彼も妻以外に彼女のいる状況に少し舞い上がっていたのだろうか、最初熱心に口説いてきたのは、彼の方だった。当初は彼に妻子があることには気が付かなかったのだけれども、なぜだかわたしも始めから、本気になるつもりはなかった。本気になるつもりはなかったのに、つき合いがずるずる続き、気付いたら数年経過してしまっていた。第三者からしたら、不倫の関係なんて貴重な時間の浪費だし、不毛な関係を続けることは無意味だと思うことだろう。

不倫の関係にはよくあることだけれど、会える時間はただいたいが平日の夜、しかも夜明けを共に過ごすことなく相手は妻子の待つ家に帰っていく。たまに一緒に旅行に出かけたり、外でデートもするけれど、なんとなく肩身の狭い、陰のある関係になってしまうのではないだろうか。ご多聞に漏れず、わたしも彼とはそんな関係だった。そんな関係にいつしか疲弊し、かといって、新しい恋に飛び込むことに臆病になっていたわたしは、だんだんとその不毛な関係に固執するようになってしまっていた。それまでは何とも思わなかったのに、夜中に妻子のもとへ帰る彼の背中を見るのが辛くなってきていた。本当は夜明けのモーニングコーヒーを一緒に飲みたかったのに、でも、そんな言葉をついに彼に向けて言うことはなかった。彼が帰った後のひんやりとした部屋で、一人でコーヒーを飲む。いろいろな思いが頭の中をぐるぐる回って、いつもだったらコーヒーを飲んだら頭が整理されるはずなのに、かえって混乱してくる。やっぱり、わたしおかしくなっているのかもしれない、とやるせない気持ちになった。ふと気づいたら、冷めたコーヒーの入ったマグカップを握りしめたまま、涙がこぼれていた。

 

ちょうど潮時だったのだと思う。これ以上不毛な関係を続けることにもほとほと疲れていたし、彼との未来がないことは頭の中では十分にわかっていたのだから。端的に言ってしまえば、わたしとの関係に飽きてきた彼からの連絡も途絶えがちになり、たまに思い出したように連絡も来たけれど、ある日、私はこんな関係に終止符を打つことを決意した。別れを切り出したのは、私からだった。コーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐり、別れの言葉を口にしたわたしに、彼は動揺していた。その姿を見て、自分の決断が正しいように思った。その日飲んだコーヒーの味は、ほろ苦かったけど、後味がすっきりしていて、次の恋に進もうというわたしを応援してくれているかのようだった。
新しい彼に出会ったとき、わたしは恋愛モードではなかったかもしれない。仕事なり趣味なり、他に一所懸命になっていることがあった時だったのではないだろうか。だからこそ、肩の力が抜けた自然体で次の関係に踏み出せたのだと思う。

新しい彼は、奥さんと離婚したばかりではあったけど、独身だった。前の不倫の関係のときには考えられなかったけど、平日の夜だけではなく、休日や祝日、あるいは日中、家で彼の帰りを待つ家族のことを気にしないでいられる、時間の制約のないつき合いはとても新鮮だった。何か特別なことをするわけではないけれど、そんな陰の存在ではない、堂々と外を腕を組んだりして歩ける関係がこんなにも心地よいものだったとは、そんな普通のことがそれこそその当時のわたしにとっては目からウロコ、いちいち新鮮な感動だった。

そんなつき合いが続き、彼の家にお泊りした翌朝のことである。コーヒーの良い香りが漂ってきて、目が覚めた。コーヒーメーカーがコーヒーを入れている、ドリップ音がリズムを刻んでいて心地よい。おはようと言って、彼がコーヒーの入ったマグカップを手渡してくれた。少し香りを楽しんでから、一口含むと、体のすみずみまでコーヒーがいきわたるかのように感じられた。それは、コーヒーのおかげもあるけど、彼の愛情がそう思わせたのかもしれない。そんなささやかなことにも幸せを感じられる、彼との関係はとても心地よいものだった。

それからしばらくして、彼とわたしは結婚した。

結婚する前は、結婚することで何かが変わるとは思っていなかったのだけど、実際に結婚してみると、いろいろと変わることもあることに気づかされる。確かに、恋愛当時のような激しい熱情のようなものはないかもしれないけれど、熱情が穏やかな愛情にかわり、その穏やかな愛情によって日々が支えられているような気がする。コーヒーもだけれど、そこにあるのが当たり前のようなそんな存在、彼と家族になったということなのかもしれない。

とはいっても、いつも居心地の良い関係でいられるわけではない。もちろん、ケンカだってする。ケンカの原因は、後から考えてみてもよく思い出せないくらいの些細なことなのだけれど。たまにそんなケンカをして、そんなケンカが長引くこともある。早く仲直りしちゃえば良いとは思っていても、ついつい意地を張ってしまって、なかなか仲直りのチャンスがやってこない。そんなときは、お互い意地っ張りになってしまっているのだろう。一緒にいるのがいたたまれないように感じて同じ空間にいることを避けてみたり、事務的なこと以外はおしゃべりしない不自然な時間が過ぎてゆく。そんな居心地の悪い空間にどちらからともなく耐えかねて、とてもくだらないことを話し出す。プッとお互いに噴き出したりして今までの居心地の悪さが嘘のように、急転直下の仲直り。なぜだかはわからないけれども、仲直りの後は決まって二人でコーヒーを飲む。ミルでコーヒーの豆を挽き、その音と香りが徐々に二人の心を満たしていく。コーヒーメーカーをセットして、後はコーヒーができるのを待つだけ。ドリップ音に耳を澄まし、ケンカのときとは違う静寂が二人を包んでいるのだけれども、それはとても居心地の良い静寂で、その静寂に身をゆだねているのも気持ちよく感じられる。結婚祝いに知人からいただいた、とっておきのカップ&ソーサーを温めて、後はコーヒーを注ぐだけ。

さっきはごめんね、とどちらからともなく謝って、二人で仲良くコーヒーを味わっていると、幸せな気持ちで満たされてくる。きっとこれからもけんかはすると思うけれど、どんなときも二人でコーヒーおいしいね、と言い合えるように、穏やかな愛情が続いていくように努力しようと、仲直りのコーヒーに誓った。

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