冷めたコーヒーがつないだ恋

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僕と彼女が出会ったのは、3年ほど前の冬、とあるSNSで主催された大阪市内の居酒屋で開催された合コンイベントでのことだった。
途中で席替えをするシステムで、彼女とは最後の時間の席替えで隣同士の席になった。ところが、向かいにさっきまで隣だった女性がいたことと、ちょうどその女性とあるテーマで話が盛り上がっていた頃に席替えがあったので、僕はその女性と話しの続きをしていて、最後の方まで隣にいる彼女とはほとんど会話を交わすことはなかった。

 
最後にデザートとホットドリンクが提供されることになっていて、デザートは様々な種類を選ぶ事ができたが、ドリンクは紅茶かコーヒーどちらかひとつのみ。
僕の勝手な世間のイメージでは、紅茶とコーヒーなら、コーヒーを選ぶ人の方がどちらかというと多めかな?というふうに思っていた。
ところがなぜか、僕たちのいるテーブルには10人ほどがいたのだが、みんな紅茶を選んでいた。たまたまそのデザートに合うものが紅茶だったのだろうか。今となってはそれはあまり覚えていない。
ただ覚えているのは、僕と隣にいた彼女だけが、ホットコーヒーを選んだということだけだ。
「どっちかというとコーヒーを選ぶ人の方が多いと思っていたのに、意外とぼくらふたりだけでしたね。他はみんな紅茶だなんて」
この不思議な偶然に僕が話しかけると、
「ほんとですね。私もみんなコーヒーを頼むと思ってたのに、まさかの少数派ですよね。おもしろいですよね」
この会話から、ふたりの関係が始まっていった。

 
あの時、普通にみんながコーヒーを頼んでいたら、彼女とは最後まで話をするきっかけを持てなかったかもしれない。話をしたとしても、せいぜい社交辞令的な会話くらいだったろう。
こうして、まるでコーヒーに導かれるかのように、ふたりの交際はスタートした。
お互い家が近かったこともあり、ほぼ毎日食事に出かけたりすることがでかて、すぐに仲は深まっていった。
映画を見たり、美味しい食事を食べにいったり、ショッピングに出かけたり・・・。
いろんなデートをして楽しんだけれど、なんだかんだで一番楽しかったのは、喫茶店でまったりしながら、とりとめのない日常的な話をする時間だった。
ふたりとも喫茶店に行くと、コーヒーを必ず注文する。あまり言葉に出して話したことはなかったけれど、初めて合コンで出会った日に、コーヒーに導かれるかのように出会ったことを、なんとなく意識して頼んでいたのだろう。いわば、ふたりがずっとこの先仲良くいられるための、おまじないのようにコーヒーを飲んでいた。
といっても、ほとんど会話をして時間が過ぎていったので、気がつけばコーヒーはすっかり冷めているのにほとんど残っていて、帰り際に一気に飲み干して帰る。そんな感じだった。
それくらい、お互いがお互いのことを夢中になっていた。
お互い学生だったので、このまま地元でふたりとも就職をして、そのうちタイミングがくれば結婚をして、家族が増えて暮らして行くのかな・・・。
漠然とこんな風に考えていた。
しかし、転機は突然訪れる。
彼女が、実家のある香川県で就職をすると言いだしたのだ。
突然のことに動揺してしまい、どうして実家のある香川県で就職したいのか聞いてみると、
最近実家の母親が病気を患ってしまい、とても心配している。
できることならば、大阪に両親を呼んでみんなで暮らしたいが、父親も仕事があるためそれはできない。
父親は仕事で平日はおろか土日もちょくちょく家を空けてしまうため、なかなか母親の面倒を十分に見ることができない。

 
その上彼女には兄弟がおらず、病気の母親がひとりでいる時間が多い状況は耐えられない、ということで、自分が香川県で就職をして、父親とともに母親の面倒を見たい、というのが一番の理由だということだ。
僕は、それを拒否してまで彼女に大阪にいてもらいたいとは言えなかったし、かといって僕はすでに大阪での就職が決まっていたから、いまさらそれを蹴って香川県の会社に就職するということは、現実的にはかなり厳しかった。

 
やむを得ないことだったが、いったんこれからもふたりで付き合いは続けて行くとして、とりあえず遠距離恋愛という形で付き合っていこう、ということになった。
この話し合いも、いつも通っている喫茶店ですることになったのだが、なぜだかこの時はお互いなんて言葉をかければ良いかわからず、沈黙が長く続くこともあった。
コーヒーはまだあったかいうちに飲み干してしまい、コーヒーが終わった後は、手持ち無沙汰になってしまうため水を何杯も飲んだ。

 

何回お店の人が水を継ぎ足しに来てくれたか、もうまったく覚えていない。
こうして、ふたりの遠距離恋愛の生活が始まった。
それからというもの、あまりいつもの喫茶店には行かなくなってしまった。
そこまで行っていると、帰りの時間がバタバタしてしまうからだ。
もっぱらデートは、お互いがアクセスしやすい、大阪の中心部、または香川県の高松市の中心部のどちらかがメインになっていった。
新しく、高松市でもお気に入りの喫茶店を見つけて、いつものようにそこでゆっくり話をしたいな、と思ってはいたのだが、なかなか実際にはそれを実行できなかった。どちらかがそれを言い出すこともなかった。なんとなく、ふたりの間に距離ができ始めているような気がしていた。
むしろ、コーヒーから遠ざかりたいと思うかのように、アトラクションの施設で思いっきり遊んだり、車でドライブしたり、アクティブなデートが増えていった。
ゆっくりと時間が流れる場所で、ふたりがお互いのことを話す時間がどんどんと減っていった。
もしかすると、先の見えてこないふたりの将来の話になってしまうことを、どちらも凄く怖がっていたのかもしれない。
カラオケやドライブ、映画に遊園地とどちらかというと、まるで嫌なことを全て忘れるためのようなデートばかりを繰り返していた。
その時その時はとても楽しくて気分も爽快なのだけれど、これじゃまるで友達とわいわい騒いでいるのとまったく同じじゃないのか?
そんな気さえしていた。
それから遠距離恋愛の日々はおよそ1年近く続いていった。
その日のデートは、僕が香川県へ行く番だった。
今日もまた、パーっと楽しく盛り上がれる場所に行って、日頃のストレスを発散しよう!
そう思っていたところ、彼女が
「今日は、久しぶりにゆっくり話せる場所にいかない?前は喫茶店でのんびりまったりしながらふたりで話をしていたよね。だから、喫茶店でコーヒーでも飲もうよ?」
本来なら、昔のようなデートができると大喜びするところなのだろうが、僕はなんだか嫌な予感を抱いていた。
「いいよ。そうだね、最近は楽しいことばっかりしていたけれど、全然ゆっくり話してなかったね。お互いの仕事がどうなっているのかもよくわからなかったし。」
お互いの将来のことも話してなかったし・・・というセリフは、直前で飲み込んだ。
「それじゃあ、喫茶店でゆっくり話をしようか。おすすめの場所があったら教えて」
彼女が車で連れて行ってくれたのは、かつて大阪でふたりでよく行った喫茶店によく似た佇まいのお店だった。
もちろんふたりで注文したのは、コーヒー。
お店自慢のブレンドのホットコーヒーを注文した。
「思えば、コーヒーでふたりは出会ったみたいなもんだったよね。コーヒーの神様がふたりを結んでくれたのかな」
「そうだね。最近はあんまりふたりでコーヒーを飲んでなかったけど、もともとコーヒーから始まったんだよね、ふたりは」
「・・・私、香川に戻ってからずっと考えてたんだけど・・・あなたとそろそろお別れしないといけないかな、と思ってるの」
嫌な予感は当たった。
長い沈黙が続いた。しかし、僕はその沈黙の間をコーヒーを飲むことで埋めたくはなかった。
あの、ふたりが夢中になってお互いの話をしていた頃の、気づいたら冷めていたコーヒーをもう一度手元に置くことで、なにかを取り戻したかったのかもしれない。
それから、いろいろな話をした。
母親の病気のこと、相変わらず父親は仕事が忙しくあまり家に帰ってこれないけど、娘が帰ってきたせいなのか、たまに帰ってきたときにはたっぷりと家族の時間を作ってくれること。
やっぱり帰ってきてよかったということ。つまり、もう大阪に戻る気は無いということ。

 
できれば結婚したいとは思っているけれど、今は大阪に戻って結婚するよりは、結婚できなくても香川に残りたいという気持ちの方が強いということ。こんな気持ちままだったら、今後のふたりのことを考えたらいまのタイミングで別れた方が良いと思ったこと。
彼女は思っていたことを全て話してくれた。アクティブなデートばかりしていたのは、そんな話をする時間ができるのが怖かったから。
彼女が話し終わった後、ふたりのコーヒーはすっかり冷めていた。
僕は、昔はコーヒーが冷めるまで話をしたよね、ということを彼女に伝えた。彼女はそんなことには言われるまでまったく気づいていなかったようだった。
その後、僕は大阪の仕事にそれほどの未練はなかったので、思い切って香川の会社に就職することにした。

 
今では、僕たちふたりは彼女の両親と同じ家で仲良く暮らしている。
幸い、彼女の母親の病気も良くなってきているようで、父親ももうすぐ定年退職で仕事を辞めてゆっくり母親と過ごせる時間ができるということもあり、もうすぐしたら彼女の実家の近くにあるマンションにふたりで住む予定だ。
正直、たとえ未練はなかったとはいえども、大阪の仕事を辞めて香川に移るという決断はかなりしんどかった。いっそ別れてしまおうかとも思った。
あの日香川の喫茶店で飲んだコーヒーを、もしあったかい状態ですぐに飲み干していたら・・・。
僕の気持ちは逆に完全に冷め切ってしまっていたかもしれない。
最後の最後まで、コーヒーの神様が導くかのように、結ばれたふたりだった。

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