後悔後に立たず

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外は雪がしんしんと降り続いています。私は一杯のコーヒーを飲みながらゆったりと流れる時間の中にいました。こんなにのんびりとした気持ちでいられるのは久しぶりでした。ここ数週間色々なことがあり、とても忙しい時間を過ごしていました。

 

ようやく一息つくことができたという気持ちの中コーヒーを飲んでいました。まずハッピーなお知らせからいうと妹が無事子供を産みました。妹の旦那は夜勤で病院に来れないからということで私が代わりに夜通し付き合っていました。初めての出産ということでとても不安だったようで、さすがに帰るに帰れなくなり結局妹の旦那が来るまでずっとそばにいてあげました。

 

もちろん私も出産の経験はありませんので、支えになれたのかと言われると自信はありませんでした。しかし出産を終えた妹にはとても感謝されました。やはり人間心細い時には誰かに側にいてもらうだけでも全然違うみたいで、それなりに役に立ててよかったなと思いました。妹の旦那が来てから数時間後には赤ちゃんが生まれました。

 

私は廊下にいたのですが、産声を聞いた瞬間は自分の赤ちゃんが生まれたように嬉しかったです。妹といっても私たちは双子なので姉妹以上に特別な絆がありました。いわば分身のような存在なので、妹の辛そうな声を聞いているだけでとても心が痛みそわそわしていました。

 

無事に赤ちゃんが生まれて来たときは自分のことのように嬉しかった以上に安堵の気持ちがこみ上げて来ました。妹とは高校生まで一緒の家で暮らしていましたが、妹は高校を卒業してから何千キロも遠い地方に移住してしまいました。理由はただ一つ、雪が嫌いだったからです。

 

雪が大嫌いで毎年冬になるとうつ病患者のように暗くなっていた妹は高校卒業と同時に暖かい地方に行ってしまいました。飛行機で行かないといけないような距離の場所にいるので会う回数が年間1回か多くて2回くらいになりました。

 

そしてそこで知り合った今の旦那と結婚しました。生まれて来た赤ちゃんは妹の顔の面影はほとんどなく90パーセント旦那に似ていました。私は東北地方に住んでいるのですが、東北地方にいるような顔つきではなく、やはり妹が今住んでいる地方にいそうな顔という感じの目鼻立ちのくっきりとした顔つきをしていました。私は妹の出産のためにわざわざ妹のところまで飛行機で行き出産直前まで一緒にいてあげると妹孝行のことをして来ました。

 

それは急遽決まったことでしたが、他に頼める人もいないということでしたし、妹のそんな頼みを断ることもできずに私は急遽飛行機のチケットを購入してその日のうちに妹のところへ向かいました。妹が出産してから3日後私は自分の家へ戻りました。そして休む暇もなく今度は一周忌へと参加しました。

 

一周忌ってあっという間に来るんだなと思いながら顔を出すとそこには見慣れた人たちが座っていました。一年経ってようやく死んだことを受け入れられて来たように思います。死んだ日から数ヶ月はほとんどご飯を食べることができず、ひたすら私は走り続けていました。私は嫌なことがあると走るという習慣がありました。高校生まで陸上の長距離をしていました。

 

走ることは辛いことと思われがちですが、走ることは最高のストレス発散方法なのです。走ると言っても息を切らして走るわけではありません。自分が余裕を持てるペースでゆっくりと長い時間走り続けるのです。

 

音楽を聴きながら景色を楽しみながら走ることはとても気持ちの良いことで、その時間だけは何もかも忘れられました。現実逃避という言葉は使いたくないのですが、まさにそんな感じで何も考えなくていい時間でした。走り終わった後に現実に引き戻されるのがとても辛い瞬間でした。家に帰り遺影を見ると、やはり死んでしまったのだということを受け入れざるをません。何かの間違いであってほしい、朝起きたらあれは嘘だったんだよと言って欲しい、そんなことを思う毎日でした。しかしそんなこともなく現実は変わることはありません。自分の中で気持ちを整理してなんとか生きて行かなくてはなりません。本当に辛かったけれど死にたいと思うことはありませんでした。死んだら人間終わりだということを彼が死んだことで痛いくらい身にしみてわかったからです。死んではいけないのです。人間死んだら何もできないし、何にもなれないのです。彼の死は不慮の死でした。でも彼にとっては不慮の死ではなく覚悟の死だったのかもしれません。

 

だって自分の好きなことをやっている時に死んだのですから。彼はマラソンランナーでした。高校からの同級生でいつも彼はとても速くて学校1速くて地区1速くて県では3番目くらいに速かったです。私はそんな彼がとても羨ましかったです。だけど天才だと思われていた彼ですが、人知れず努力もしていました。やはり天才はいないのだと思わされていました。私はよく自転車で自主練に付き合っていました。彼のペースはとても速いので自転車でもハアハア言うくらいのスピードなのに彼は何時間も笑いながら走り続けていました。そして高校を卒業して実業団に入りました。箱根駅伝を目指すのかと思っていましたが、彼は勉強が嫌いで苦手でした。だから箱根駅伝は目指さなかったようです。それに箱根駅伝に出ると燃え尽き症候群にようになる選手が多いということも言っていました。箱根駅伝を最大の目標にしたくはないと語っていた彼が目指していたのは2020年の東京オリンピックでした。アスリートであれば誰もが夢見る舞台オリンピックが東京にやってくるというのはアスリートのモチベーションを一気にステージアップさせました。

 

彼もその一人で東京オリンピックに出るべく日々苦しい練習を続けていました。そんな矢先の事故でした。彼は早朝の自主練中に車にはねられて帰らぬ人となってしまったのです。まだ若いのにこれから楽しい未来がたくさん残っていたのに、突然もう彼とは会えなくなってしまいました。私は彼の彼女であり、マネージャーのような存在であり、彼の一番のファンでもありました。東京オリンピックを目指していた若者が志半ばで夢に破れてしまったという現実、そして私の大切で大好きな人が亡くなってしまったという現実、どちらも受け入れがたい現実でした。だけど彼は悟っていたのかも知れません。東京オリンピックは厳しいということを。実業団は高校レベルよりもはるかに厳しい世界で彼よりも速い人はたくさんいました。高校を卒業してなかなか記録も伸びていなかったし、実業団の練習は思った以上にきつかったようです。会うたびに元気が亡くなっていく彼を見て本当に大変さが伝わってきて私も苦しかったです。だから事故と聞いた時一瞬自殺したのかも知れないと思ってしまいました。もしかして辛すぎて自ら生きることに終止符を売ったのかも知れない。そんな不謹慎なことを一瞬考えてすぐ消し去りました。

彼のお葬式には高校の同級生も来てくれました。私たちが付き合っていることはみんな知っていたので、私を見つけるなりみんな私に同情の眼差しを向けてくることがとても辛かったです。大丈夫?と聞かれるのがとても苦しかったです。大丈夫なわけないじゃんと心の中で何度思ったことでしょう。こないだまでそこにいた人が重さもない温度もない粉に変わってしまうなんて誰が予想できたことでしょう。お葬式が終わっても私はしばらく何もする気になれませんでした。だから走り続けていました。

 

彼がよく走った道順を思い出を見るけるかのように走り続けました。だけど彼が事故にあった場所は自然と避けてしまう自分がいました。受け入れられない現実だけが自分の中に大きな壁となりそびえ立っていました。私はいつになったら前へ進めるのだろうか。私はそんなことを自問自答していました。その時一本の電話がなりました。相手は彼のお母さんでした。電話に出ると彼のお母さんはちょっと来て欲しいと言っていました。私は適当な洋服ですぐに彼の家に出向きました。そしてお母さんから箱に入ったものを渡されました。私は怪訝そうな顔をしていると開けてみてとい言われましたので、その場で開けました。私はそれをみてもう涙が止まりませんでした。それは彼が初めてのボーナスで購入してくれた婚約指輪でした。ボーナス全部を突き込んだであろうそれはそれは立派なものでした。そこで私は彼が自殺ではなかったのだということを確信しました。今まで抱えていたモヤモヤとした気持ちがすっきりした瞬間でした。やはりどんなに辛くても苦境に立たされていてもアスリートは自分で命を絶ったりしないのだと感じさせられました。彼は彼なりに考えて足りない部分を補おうと必死になって自主練をしていたのだろうと思うと本当に尊敬の念でいっぱいでした。それと同時に夢半ばで亡くなってしまったこと本当に残念で仕方ないという気持ちにさせられました。

 

彼の代わりに東京オリンピックは目指せないけれど東京オリンピックには連れて行ってあげたいなと思いました。私はこの先誰かと結婚するなんて考えられないなという気持ちになりました。私が結婚したかった人はもうこの世にはいません。親にはなんて言われるかわからないけれど、私はもう誰かと結婚して子供を育てていくということが想像できませんでした。本当に死んでしまうと何もできないのだということを日に日に強く思いました。何であの時一緒にいてあげれなかったのだろうという後悔の気持ちだけがずっとずっと心の中に残り続けています。一周忌を迎えても彼に対する愛情が薄れたことはありませんでした。

 

私はまだまだ彼とやりたいことがたくさんあったのに結婚して子供を産んで家族三人で東京オリンピックを迎えたかった。先の先まで考えていたストーリーが途中で終わってしまいました。今日も私は自分を責め続けています。自分が納得できる日はいつくるのでしょうか。

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