コーヒーと音楽の日々

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昔から両親も祖父母も、家族で誰もコーヒーを飲む習慣がなかった私がコーヒーを飲むようになったのは大学生になってからだった。

 

音楽大学に入学したはいいが、特に裕福な家でもない一般家庭の家で育ったので奨学金を借りて進学したために、大学に入ってすぐにアルバイト探しをしたのだ。そのアルバイトは、本屋の2階にあるちょっとしたコーヒー屋さん。本屋のお客さんが買ったばかりの本を片手にサイフォンで入れたコーヒーを飲んだり、自分と同じくらいの歳の学生が生クリームとチョコシロップの甘いアイスコーヒーを飲みながら勉強をしているようなお店だった。

 

雰囲気も気に入っていたが、そこで教えてもらったコーヒーがとっても美味しくて、私はいっきにコーヒー好きになった。

 

その店で提供していたのは、サイフォンで入れるブレンドコーヒーとアメリカン。
エスプレッソマシーンで入れるエスプレッソと、エスプレッソにフワフワ泡立てた牛乳を入れてつくるカフェラテや、アイスコーヒーと、コーヒーにキャラメルシロップを入れて作る甘いラテ。他にもコーヒーのメニューがあって、私が一番好きだったのはサイフォンで入れた濃い目のブレンドで作るウィンナーコーヒーだった。
アルバイトを始めたのと同時期に、大学では年上の同級生とよく話をするようになっていた。
彼の専攻は作曲。初対面の人にも自分の思っていることを何でも言うので
一瞬でうちとけることもあれば逆に一瞬で嫌われてしまうという面白い人だったのだが、私とはよく気が合った。

 

大学2年で付き合うようになり、私は学校帰りによく彼の家に立ち寄った。
学校では何も考えてないように飛びぬけてふざけたことをしている人だったが、家で作曲するときはコーヒーを沢山入れてタバコとコーヒーで何時間も、何日も作曲をしていた。
もちろん家でもリラックスしてる時間はいっぱいあったようだが、彼の使っていたマグカップは内側が茶色くなっていて洗っても落ちなかった。それを見ると眠気をとばすためにコーヒーを飲んでいる時間が長いことがわかった。

 

私が彼の家に立ち寄ると、一緒に色々なジャンルの音楽を聴きながら二人でコーヒーを飲んだ。近くにあるスーパーマーケットで挽いた豆を買ってきて、コーヒーメーカーにかけてつくってくれるコーヒーは味は雑だったが美味しく感じてアニメソング、民族音楽、クラシック音楽、ポップス・・・色々な音楽を聞きながらコーヒーを飲む時間はとても楽しかった。
その時間を楽しむために、二人でマグカップを買いに出かけたり、たまには一緒に美味しいコーヒーを探そうと出かけるうちに、カフェ巡りが共通の趣味になったり。今思い出してもワクワクするような楽しい時間を過ごした。

 

また、私の通っていた大学では3年生になると必ず、クラシック音楽の本場であるオーストリアのウィーンに研修に行くのだが、ウィーンの研修前にはオーストリアの歴史なども勉強することになる。

コーヒーは、かつてオスマントルコの軍がウィーンにせめてきたときにトルコ人が持っていたコーヒー豆からウィーン中で広まった飲み物で、ウィーンにはカフェ文化がある。
ウィーンのカフェでは毎日同じお客さんが来て、同じ新聞を読むので色々な新聞があったり、砂糖やミルクの量も店員が把握しているのだそうだ。

 

私は研修も彼と一緒だったので一緒に散策したウィーンの街で、ベートーベンやモーツァルトなど偉大な作曲家たちが見た風景、楽しんだ味などを想像しながらコーヒーを飲んだこともあった。今では考えられないような音楽づけな毎日だったように思うし、二人で飲んだコーヒーの味は、正直言うと日本で飲むコーヒーの方が美味しかったのだが思い出の味になった。

大学を卒業するころになると、私がアルバイトをしていたカフェが店をたたんでしまった。
私はすぐに就職せず、まだ音楽活動をしていたかったので新しいアルバイトを探した。
いくつか飲食店を試したが、結局はケーキ屋とカフェの掛け持ちに落ち着いたのだった。

卒業して、私はカフェで働いている時間が増えた。
新しく働き始めたカフェは、普通のブレンドコーヒーが600円、ブルーマウンテンなどは900円という少し敷居が高い店だった。
その店で覚えたダッチコーヒーや、リキュールを入れたコーヒー、細挽きの豆を布でドリップするアイスコーヒーから作るさまざまなドリンクは私を魅了しただけでなく、カフェのコーヒー1杯には、その1杯を楽しむための空間とサービス、時間も含まれていることを教えてくれた。

 

コーヒーの種類は前のカフェより多く、毎月季節のドリンクも提供していた。
それまではそこまで高いコーヒーを出す店に飲みにいくこともあまりなかったし基本的に頼むのはブレンドかウィンナーコーヒーだったこともあり、コーヒーにブランデーと生クリームを入れたものがこんなにも美味しいのかと発見することも多かった。アイスコーヒーに入れるガムシロップも自分達で毎朝砂糖を溶かして作っていて、本物の味を教えてくれた。
働いているうちに自分でもコーヒーを入れたいと思い店長に話をしたのだが、おいしいコーヒーを提供するために、アルバイトを始めてからしばらくはコーヒーは入れさせてもらえなかった。2ヶ月ほどして、お湯を高いところから落として温度を調節する練習から始まり、次はお湯を細く注いで円を描く練習。やっとコーヒー豆を使わせてもらえたのは3ヶ月目だった。
そこからは毎日コーヒーを1杯入れるたびに味を自分でチェックして、店長にチェックしてもらう日々。

 

ドリップコーヒーは、豆が同じでもお湯が熱すぎると酸味が強くなるし、ぬるいと雑味が出る。蒸らしすぎても雑味が出る。お湯を注ぐスピードでも全然味が変わってしまう。とっても繊細な飲み物で自分の舌を鍛えるしかなく、難しかったが楽しかった。

 

コーヒーをお客さんに出して良いと言われるまでに半年くらいかかってしまったがアルバイトは充実していた。ただ、そんな日々はそう長くは続かず、毎日チェックするコーヒーで胃は痛いし、体調がくずれると上手く演奏ができずに自分が何でここでアルバイトをしているのか曖昧になってきた。

音楽を続けるためにお金を稼ぐために働いていたはずが、コーヒーに魅了されすぎて本業が全然進んでいなかったからだ。コーヒーは大抵の飲食店で飲むことができるけど、その味はみな違い、入れ方だけでなく豆や焙煎の時間でも味が変わる魔法の飲み物だ。つきつめたらキリがない。音楽だって勉強不足なのに、コーヒーまで極めようなんて自分のキャパでは到底できないとも感じ始めた。

 

学生のころ楽しかったはずの彼と音楽を聞きながらコーヒーを飲んだり、カフェ巡りをすることも、気づけばコーヒーの味をチェックしてしまって楽しめなくなり、悩みに悩んだ。
結局、私はコーヒー屋を辞めた。自分を変えたいと思ったからだ。
彼とも別れた。コーヒーも飲まなくなった。極端かもしれない。
それでも、若かった私にはそれ以外に自分を変える道が見えていなかったのだ。

 

私にとって彼は恋人で、お互いに刺激しあうことで成長できると信じていたし、刺激をもとめていたのかもしれない。私が音楽を勉強する時間が減ったことで彼の音楽に対する情熱も同じペースで下がっていくのを感じて、今考えるととても自分勝手な言い分だとは思うが一緒にいるのが申し訳なくなってしまった。コーヒーも同じだ。

 

一生本気で付き合っていける相手を1つだけ選ぶという中で私は違う道を選んだ。
そう思い返してみると、コーヒーは私にとって甘い思い出だけでなく
とても苦い思いもしている。

だけど、私は今の自分に後悔はしていない。
彼と別れて7年ほど経った今、私は他の人と結婚している。
仕事は音楽教室のスタッフだ。
あのときに音楽を選んだ私だが、もとから勉強始めたのが遅いうえにブランクもできてしまったため演奏家の夢はあきらめた。その分、今は教室に来ている子供達が音楽を楽しんで上達してくれるようにサポートすることを選んだ。

コーヒーの味にうるさくなってしまった私は今でも外食でコーヒーを頼むことはめったにないが、そんな私がコーヒーを飲むときがある。
それは、自分が今やっていることに疑問を感じたとき。音楽を学ぶ子供の気持ちを汲めないお母様に大して言葉がうまく出ないとき。そんなときは自分で豆を買ってきて、挽いて、丁寧に1杯入れる。一口飲んで、ピアノに向かう。

その時間をとることで、昔自分が音楽を頑張っていてうまくいかなかった時の気持ちや、音楽に向き合おうと再確認した時の気持ち。そして今でも勉強しつづけているコーヒーとの思い出がある彼のことを思い出して、自分も頑張ろうと思えるからだ。

私にとってコーヒーの味は、彼と音楽を楽しんだ楽しい日々の甘みと自分が何を選ぶのか悩んで苦しんだ苦味があわさった深くてかけがえのない味なのだ。
結婚と恋愛は違うとよく耳にするが本当にそうだと思う。
刺激を求める恋愛をそのまま結婚に結び付けられるなんて難しい気がする。
結婚してわかったが、結婚相手との生活は妥協の連続。
あのときもし、夢を一緒に追っていた彼と結ばれたとしてもうまくいっていたかはわからない。だけど、一緒にすごした時間の中で彼から感じた情熱や思い出は私を形作ってくれたし、共通の知り合いから聞く、彼が今でも勉強を続けて頑張っているという話は今の私を支えて後押ししてくれている。それと同じく、私がコーヒーに熱中していた時間というのも私の今の生活の出発点になった大きな要因であって、あのときに悩んで自分を変えようと思っていなかったら私は今でもずるずると自分の人生に迷いをもっていたのかもしれない。コーヒーという飲み物が、すぐに攻略できてしまうような浅い味だったならあれほど悩んではいなかった。
真剣に音楽に向き合う勇気はもらえなかったかもしれない。
私はまだ30代。これからも色々な壁を乗り越えていかなければならない。
そういうときがきたら、私きっとまたコーヒーを飲む。

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