コーヒーと恋愛

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 コーヒーと恋愛とは両者とってもかけ離れた言葉のように聞こえます。しかし、頭の中でイメージを膨らませて行くと、コーヒー、恋愛、ん?何か似ている部分があるのかもしれないと思えてくるではありませんか。そもそもコーヒーと恋愛を並べるとういうことはそれなりに似通った意味があるのだと思います。共通点は何なのか?いったいどこが似ているというのか?まずひとつ思いついたことと言えば、どちらも苦いということでしょうか?

コーヒーは砂糖もミルクも入れないいわゆるブラックで飲むと、とても苦いものです。しかし、砂糖やミルクを入れると甘くなりますね。一方、恋愛も同じで人を好きになると、苦しんだり、悲しんだり、苦い思い出ができることも多かれ少なかれ、みな経験していると思います。しかし、これもまたコーヒーコーヒーに砂糖やミルクを入れると甘くなるように、人を好きになり、その人と相思相愛になったりすれば甘さも感じられるようになります。コーヒーも恋愛も甘くするか、苦くするかは、その人の好みや生き方、手腕にかかっているといえると思います。

私の経験を振り返ると若い頃それこそ青春まっただ中の恋愛は本当に苦い恋ばかりでした。
好きな人にはいつも好きな人がいました。なんで好きな人がいる人ばかり好きになるんだろう。自分の恋愛の過ちを何度も後悔してばかりでした。片思いばかりをしていたので、両思いの気持ちなんて全くわかりません。わかりたくもありません。なんで自分ばかり報われないのか?自分には何が足りないのか?毎日自問自答を繰り返す日々でした。

最初は好きな人がいて、廊下ですれ違っただけでも、幸せだったのに、人間欲深いもので、だんだん多くを求めすぎてしまう。そして、相手の気持ちが知りたくて見込みの無いのはわかっているのに、告白してふられてしまう。そしていつもこういわれる「ごめんなさい。他に好きな人がいるので。」恋愛しているともやもやばかりで、早くすっきり、きれい、さっぱり終わらせたいと思ってしまう自分の性格が災いとなり、いつもこんな恋愛ばかりしてしまう。

一方私の友人はスポーツもでき、明るくて、リーダーシップもあり、そして何より容姿がパーフェクト。他校の生徒も告白してくるほど、大人気でした。いいなっていつも思いました。なんで同じ人間なのにこんなにも境遇が違うのだろう。人と比べてはさらに自己嫌悪になり、自分が嫌いになりました。恋愛なんていつもうまく行かない。もう好きな人なんて作らなければいいんだ。そんなことを考えても、また好きな人が出来てしまう自分が愚かで仕方ありませんでした。

しかし、そんな私にもようやく春が来ました。高校2年の夏、1つ上の先輩に告白したら、OKをもらえました。人生初めての彼氏が出来たのです。しかし浮かれていたのもつかの間で、その人は分かれたばかりの彼女がいたらしく、私の名前と元彼女の名前を間違えたり、ことあるごとに、前の彼女の思い出を語ってきました。

それでも私はその人が好きだったから、流し聞きしながら、耐えました。そして先輩は卒業式をむかえ春から東京の大学に通う事に成りました。はなれてもずっと一緒だよと言われていたので、何も心配はしませんでした。しかし、初めて私が東京を訪れようとしていた前日に、突然別れを切り出されました。しかもメールでした。私は話をしたいと思い、電話をかけましたが出てくれませんでした。

それでもういいやと思い終わらせました。
それからもう高校卒業するまで好きな人は出来ませんでした。何か恋愛というものが面倒になりました。恋愛するなら一人のほうが傷つく事もないし、気楽でいいやと思ったのです。

もう一生好きな人は作らないというくらいの強い思いでした。結局私の青春時代は恋愛に関しては何ひとついいことはありませんでした。でもそれでももう自分を責めたり落ち込んだり後悔することはやめました。ありのままの自分を好きになろう。そうすればそんな私の事を好きになってくれる人が現れるかもしれない。そんな軽い気持ちでこれからの人生歩んで行こうと決めたのです。

そして私は高校を卒業し、少しだけ都会で暮らし始めました。地元にはなかった有名コーヒー店があり、そこの甘いコーヒーが私は大好きで、毎日のように通いました。今思うとお金もないのによく通い続けたなと思いました。しかし、当時の私は何かに誘われるように飽きもせず、本当に毎日のように通いました。

その店の雰囲気、店内に広がるコーヒーの匂いに誘われて、そこでコーヒーを飲むのが日課になりました。その空間にいるときは本当に心からリラックス出来ている自分がいました。コーヒーを飲むと自然と気持ちがみなぎるというか、私は何でも出来るぞみたいな強い心に慣れました。

それはなぜだかわかりませんが、私にとってコーヒーは栄養剤のようなものだったのかもしれません。そこにいるときは何も考えず悩まず、ひたすら、読書をしたり音楽を聴いたりして、自分だけの空間という物を楽しみました。そんな日常を送っていたころ、バイト先の年上の社員さんを好きになりました。

その人は私と同じくらいの身長しか無く、私よりも体重が明らかに軽いだろうと見た目はとても頼りになりそうもありませんでした。しかし、本当に優しくて困っていると必ず助けてくれるし、わからない事は何でも教えてくれるし、本当に裏表のない笑顔が素敵なひとでした。そんな幸せなひとときも束の間、その人に彼女がいることを知ったのは、偶然にもバイト先にその人の彼女がやってきたからです。私はまた途方に暮れました。その人は、私が今まで好きになった人の中で一番大好きな人だったからです。なんでいつもこうなんだろう。私はいつもババを引いてばかりだ。なんでこんなにたくさんの人がいるのに、どうして私は彼女がいる人を好きになってしまったのだろう。

それからはバイトに行ってもその人とうまく話せない自分がいました。その人のことを嫌いになった訳じゃないのに、私は傷つく事から逃げたかったのだと思います。もう傷つく恋愛はしたくない。そんな思いが心の中にあったから、その人をこれ以上好きになる前に終わらせたい。そんな思いがつよかったです。しかし、その人はそんな私の気持ちに気づかないのか気づいていてなのか、今まで以上に話しかけたり、助けてくれたりするようになりました。私はあなたの事を嫌いになりたいのに、どうして優しくするの?優しさがつらくて泣いた夜もありました。その度に私の思いが日に日に強くなっていることを感じました。

もう私は嫌いには慣れない。こんなにも好きになってしまった。認めたくない現実が自分に突き刺さりました。あぁまた傷つくのか、嫌だな、でも好きな気持ちをとめられそうもないな。悩んだ末に私は好きになる事と同時に傷つく事を選びました。そして淡い期待もこめて一生懸命好きになろうと決めました。それからは普通に仲良く過ごしました。周りに私の気持ちもばれましたが、そんなこともおかまいなしでした。そんなある日事件は起こりました。

その人が私の事が好きになって彼女と別れたいらしい。そんな噂が耳に入りました。私は今まで生きてきた中で1、2を争うほどの喜びで胸がいっぱいになりました。諦めなくてよかった。ただ私に出来る事それが諦めない事だった。それを続けてきて本当によかったと心底思いました。しかし喜びも束の間、一向に分かれたという話も聞く事が無く、時間だけが過ぎて行きました。自分の思いを伝えてしまえば良いはずなのに、それができなかった。好きすぎて傷つくのが怖くなってしまいました。大人になればなるほど、恋愛に対して臆病になってしまう。自分の素直な気持ちを伝えるのが怖くなってしまう。わたしは結局傷つく事から逃げてしまいました。自分の気持ちを伝えられないまま、バイトをやめて他の店に就職が決まりました。

心残りはあったけど、結局自分を守ってしまった。こんな大事なときに強くなれなかった。就職して少し経った頃、その人が彼女と別れたと聞きました。遅すぎるよ。なんでもっと早く別れてくれなかったの。それがそのときの私の思いでした。今更、別れてくれたので付き合いましょうとなることもなく、時は過ぎ私は就職先を辞めて地元に帰りました。もう二度と会えなくなる。そのとき感じたのはやらない後悔のつらさでした。なんであの時自分の思いを伝えられなかったのだろう。そしたら何かがかわっていたのかもしれないのに。違う未来があったのかもしれないのに。やらない後悔よりもむなしいものはこの世の中にあるのだろうか。

今日も私はコーヒーを飲みながら、何も考えずリラックスして過ごしています。
コーヒーを飲んでいるときだけは何も考えないでストレスを与えないで自分の空間を大切にしています。その思いは今でも変わりません。この数十年間で変わらないもの、それは多分それだけだったのかもしれません。コーヒーを飲んでいるときの時間だけは誰にも邪魔されたくないものです。
結局コーヒーと恋愛とは比例していなかったのです。コーヒーは私のいろいろな後悔やつらい事苦しい事を全部洗い流してくれ、助けてくれるものなのだと思います。

コーヒーは私を救ってくれる大切な飲み物です。だからすべての人に伝えたい。人生で辛い事、悲しい事、どうにもならないことに対峙した時はまず、一息ついてコーヒーを飲んでもらいたい。そして自分の好きな事に没頭するのです。そうすればきっと解決の糸口が見えてくると思います。冷静になるそれが何よりも大切な事です。一人でも多くの人がコーヒーによって救われてほしい。私がそうされているように。辛いときは何度でも何杯でも飲んで欲しい。癒しの飲み物。それが私にとってのコーヒーなのです。”

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