苦い珈琲

Pocket

私は珈琲を飲むのも、珈琲を淹れることもとても好きだ。

 

こんな珈琲好きの女を妻として選んでくれた主人は、ドリップ珈琲じゃなくても、インスタント珈琲で構わないという人。「インスタントでもいいだなんて。珈琲に関してあまりこだわりがないのね」と思っていたのだけど、私が淹れた珈琲は苦くて飲みにくいといつも苦情がくる。

 

どうやら、主人は苦くない珈琲のみ受け入れるらしい。かといって、甘すぎる珈琲は嫌いと言う。主人は主人なりに珈琲へのこだわりを持っているようだということが、結婚して一か月がたったころ、ようやく分かったのだった。
ところで、私はいつからこんなに珈琲好きになったんだろう。頭の中で記憶をたどってみる。珈琲好きな父に影響されて、父が淹れてくれた珈琲を毎日飲むようになったのが中学生の時。そうだ、中学生の時から珈琲が好きになったのだった。

 

じゃあ、自分で珈琲を淹れるようになったのはいつからだろう。お湯を沸かして、カップを温めて、珈琲の粉に向かって円をかくようにお湯をそそぐ。そんな一つ一つの作業がとても好きになったのはいつからだっただろう。
あの時から?この時から?なんて探すフリをしてみる。探すフリをするなんて何て嫌らしい。どうかしてる。いつから淹れるようになって、いつから淹れることが好きになったなんか、記憶を辿らなくても頭の中で鮮明に憶えてじゃないか。あんたって本当に嫌なやつ。もう一人の自分が言う。本当にその通りだと思う。
大学生最後の年に一年ぶりの彼氏ができた。友達に誘われたバーべキューに来ていた人。友達の先輩で、私と友達が在籍している大学と同じ敷地にある大学院に通っている人だった。
バーベキューで出会った時、どんな人とでも分け隔てなく明るく接することができる先輩は、初対面でガチガチに固まっていた人見知りな私にも気軽に話しかけてくれた。人見知りで緊張したけど、先輩とはとても話しやすくてたくさん笑った。それから友達と先輩を含めてグループで遊ぶことが多くなり、先輩と楽しい時をたくさん過ごすようになった。

 

明るい先輩と一緒にいると自分の人見知りというネガティブな部分が消されるような感じがして、いつも一緒にいることが楽しくて仕方なかった。遊んでいる時にとった写真をみると、私はいつもピースサインをして大きな口で笑っているのだった。まるで、自分も先輩と同じように明るい人になったように感じていた。
そんなある時、先輩から二人で食事をしようと初めて誘われた。先輩と過ごす楽しい時間が自分にとって特別なものになっていると感じるようになっていた私は、二人きりで会おうという誘いにとてもドキドキした。当日、先輩と私が好きなイタリア料理のお店に行き、ドキドキしつつもいつもと同じよう先輩と楽しく会話をした。食事を終えると、「じゃあ、家まで車で送ってくから乗って」先輩が助手席のドアを開けてくれた。男の人が運転する車の助手席に座るなんて元彼以来だな、なんてドキドキしながら「ありがとうございます」勧められるまま助手席に座った。先輩も運転席に座り、両手をハンドルに置いた。大きな手。男の人の手だな。いま、好きな男の人の車に乗ってるんだ。ドキドキが止まらないまま、先輩の手を見た。時間にするとたった数秒のことなんだけど、駐車場の車の中で時間が止まったように感じていたら、「好きだ。」先輩がこちらに真っすぐ顔を向けてきた。

 

あまりの真剣な眼差しにのみこまれそうだと思ったら、先輩に抱きしめられていた。「一緒にいるといつも笑っていられる。笑顔が好きなんだ。付き合ってくれ。」抱きしめられながら告白されたことは初めてだった。想いをこんなに熱くまっすぐぶつけてくれる人に出会ったのも初めてだった。嬉しい気持ちと、いきなり抱きしめられて驚いた気持ちが入り交じって照れくさく、「私も好きです。お願いします」先輩を直視できないまま頭を下げた。先輩は嬉しそうに微笑み、「これからよろしくな」と私の頭をなでた。これが私たちの4年間に渡る恋人関係の始まりだった。
しばらくして二人とも同じ年に社会人になり、大学のあった県に就職した。そして、同棲をはじめた。同棲したいと言い出したのは彼だった。学生時代はお互いの家を行き来して半同棲のような状態だったので、私は同棲に対して何も深い意味を考えることなく承諾した。友達は私が同棲するというのを聞いて「近い将来に結婚するつもりならいいけど、まだそういうことを考えてないなら同棲はしない方がいいと思う」と心配して忠告してくれた。「彼が同棲したいっていうから、まぁいっかと思って」と友の心配を無下にするほど、私は同棲に対して“ただ一緒に住む”という捉え方しかしていなかった。
毎朝、同じ時間帯に出勤する私と彼は朝食も同じ時間にとっていた。毎朝コーヒーメーカーに粉と水をセットして電源を入れるのは彼の役目だった。ブラックとシルバーを基調としたカッコいいデザインのコーヒーメーカー。一緒に住み始める前に、同棲記念として彼が買ったものだ。「毎朝自分でドリップした珈琲を飲めたらいいけど、朝は忙しくてそんな時間ないから、コーヒーメーカーがあるといいなと思ったんだ。食卓に珈琲の香りが漂うのってすごくいい気分だよな」コーヒーメーカーを初めて使ったとき、珈琲を飲みながら彼は満足そうに言った。「本当だね。忙しい時に手軽においしい珈琲が飲めるのはいいね」コーヒーメーカーという存在を彼から初めて教えてもらった私も、気分が高揚した。
休日は彼がハリオのフィルターを使って、おいしい珈琲を淹れてくれた。デートは珈琲が美味しいと評判のカフェや喫茶店巡りをすることが多かった。彼は私以上に珈琲が好きな人で、珈琲に関するいろんなことを教えてもらった。ドリップの仕方を丁寧に教えてもらい、私も珈琲を淹れるのが好きになった。珈琲豆の挽き方、ドリップするときの適正な湯の温度、お湯の量を一定にして注ぐこと。

 

一つ一つの動作が味を左右することを彼から聞いて、珈琲を淹れる作業が茶道のように思えた。「淹れる人によって同じ珈琲豆でも全く違う味になるんだ。一つ一つの動きが味に左右するなんてすごいよな。」一つ一つの動作を大切に丁寧に。どんなことにも真っすぐ向き合おうとする彼の性格に合っている気がした。まだ彼女でもない女を告白するときに抱きしめるなんて普通の人は出来ないはずだ。真っすぐな彼だからこそ、嫌われてしまうかもなんてリスクは考えずに想いを真正面からぶつけてくれたのだ。
人見知りで内弁慶な私は、彼と一緒にいる時とても我儘だったと思う。仕事で疲れたら夕食を作らず、掃除もサボりがちだった。彼だって私と同じく仕事で疲れていただろうから、私の我儘な態度に何度もムカついたはずだ。でも、彼は我慢強く、私のことを一度も怒ることはなかった。中学高校と寮暮らしをしていた彼は「人と一緒に暮らすのは許すことが必要なんだ」といつも言っていた。彼の大人な態度によって同棲生活は維持されているようなものだった。彼じゃなければ、こんな我儘女は即刻別れを告げられたはずだ。それでも、「一緒にご飯を食べる人がいるのは本当に嬉しい。心が安らぐな」と食卓で向き合っていると彼は何度も言ってくれた。そう言われるたびに嬉しかったけど、だからといって彼のためにもっといろんなことをしてあげようとは一度もしなかった。私はとっても子どもで、彼に甘えたいだけ甘えるばかりだった。
私は一緒にTVを見て笑ったり、会話しながら食事をしたりする相手がいることだけで満足していた。でも、彼はそうじゃなかったのかもしれない。いつも虚しい気持ちになっていたのかもしれない。何も言わなかったし、こちらも聞かなかったからわからないけど、我儘で子どもな女と生活し続けることを彼はどう思っていたのだろう。今になってはもう取返しのつかないことだけど、彼との同棲生活を思い出すたびに、自分が子どもだったせいで彼をどれだけ苦しめていたのだろうかと思う。
同棲して数か月がたったとき、とつぜん「結婚してくれないか」と彼が言ってきた。ドライブデート中で、彼はまっすぐ前を見て運転していた。横顔から彼の緊張が伝わってきた。仕事に夢中になっていた私は彼の真剣な言葉にひるみ、戸惑った。“でも、まだ結婚したくないと言ったら別れようと言われるかもしれない。彼と一緒にいるのは楽しいから別れたくない。”心の中でそんな子どもじみたことを考え、「うん。でも、しばらくは仕事を頑張りたい。結婚はそのあとがいい」と曖昧な返事をしてしまった。彼がどれだけ真剣に言ってくれたかはわかっていたのに、真正面から取り合おうとしなかった。彼はショックを受けただろうが「そっか。仕事を頑張って、早く一人前にならないとな」と言って、それから結婚の話をしてくることはなかった。
彼は私との同棲生活を結婚の前段階と考えていたのだ。私のように、ただ一緒に過ごす相手がほしいだけではなかったのだ。友達が忠告してくれた通り、生半可な気持ちで同棲してはいけなかったのだ。ちょっと考えれば分かることなのに、子どもだった私は“結婚はまだ考えられないけど、今は楽しく暮らせたらそれでいい”という風に彼も納得してくれたと勝手に思い込んだ。彼の気持ちを無視して、とことん自分の言いように考えた。彼がどんな気持ちで私と同棲しているか考えることから私はずっと逃げていた。彼は私の考えが改まることを我慢強く待ってくれていたのかもしれない。時がたてば気持ちは変わるだろうと。そんな彼の気持ちを慮ることから私はとことん逃げていた。
彼との同棲生活はほどよい温度のお風呂のように、私にとってはいつも居心地がよいものだった。でも、同棲生活が3年目に突入するとその心地よさに物足りなさを感じるようになってきた。彼と一緒にいるのは楽だし居心地がいい。でも、結婚もしないままズルズル同棲していいのかな…ようやく、私も結婚について考えるようになった。彼と一生を共にしたいという想いで結婚を意識したのではなく、彼とこのまま付き合い続けていくのかという疑問によって結婚を初めて意識したのだった。同棲する中で気になった彼の些細な言動(車を運転すると言葉が荒くなるとか)が積み重なり、彼に対する想いが揺らいでいった。今なら、自分が我儘放題だったことは棚にあげて、よく彼の言動が嫌だと言えるようなと思うが、当時の私は彼の欠点ばかりが目につくようになっていった。彼とどうしても結婚したいと思えなかった。どうしてかわからないけど、この人と一緒に一生暮らしていきたいと思えなかった。当時の私は、結婚という大人の段階へと移行したくなかったのかもしれない。大人として責任ある生活を送るという覚悟を持てなかったのかもしれない。それほど我儘で甘えたれの子どもだった。そして、無常にも“彼の性格は自分と合わない”と彼を悪者にすることで、恋人関係を解消する理由にした。別れを切り出した後に同棲し続けるのは嫌だから、まずは新居を契約することにした。

 

彼との同棲生活を送りながら、内緒で部屋探しをする毎日。罪悪感はなく、早く同棲生活から抜け出して彼と別れたいという自分勝手な思いに突き動かされて生活していた。部屋が見つかって契約し、引っ越しの段取りもつけて荷物を整理した日の晩、「別れたい。私は新しい家へ引っ越す」と言った。彼をまっすぐ見ることができず、うつむいたまま告げた。「いきなりすぎる。」彼は私の方をまっすぐ見て言ってきた。本当にいつもまっすぐな人だ。

 

「ごめん。実はずっと考えてた。このまま付き合い続けても結婚したいと思えない」残酷なまでに正直に自分の気持ちを話した。「そうか・・・。俺は未練たらしく追いかけることはしないから安心してくれ。今まで楽しかった。」彼は最後の最後まで大人だった。私のことを非難しても怒ってもいいのに、全くそういうことはしなかった。私はその場で立ち去り、その日をもって彼との関係を終わらせた。
別れて数週間は一人きりの生活にのびのびとした解放感を味わっていた。だが、一か月後にはずっと一緒に寝食を共にしていた相手がいないことが寂しくなってしまった。あろうことか、まだ子どもだった私は彼にメールを送ってしまった。「元気ですか」と。数時間後に「おまえは最低だ」と返信がきた。そのときになって、初めてどれだけ自分勝手で、どれだけ彼のことを傷つけてきたのか思い知ったのだった。あまりの衝撃にしばらく身動きがとれなかった。「おまえは最低だ」という彼の声が繰り返し流れた。私は本当に最低だ。
それから10年間、新しい恋がしてみたいなんて微塵も思わず、仕事にのめりこんだ。恋をすることへの罪悪感があったのかもしれない。そして、結婚適齢期をとっくにすぎたころ、独り身の私を心配してくれた友人が紹介してくれた人と付き合うようになった。彼との出来事から少しずつ大人になった私は、好きな人と一緒になって家庭をもちたいと思うようになっていた。とんとん拍子に話はすすみ、あっという間に結婚することになった。この人と一生を共にしたいと思った時、あの時の彼もこういう気持ちで私に結婚しようと言ってくれたのだろうかと胸が苦しくなった。
主人は彼と同棲していた頃の私を知らない。知られたくないから話していないのだ。今も彼との出来事はずっと胸の中にある。主人には苦いと言って顔をしかめられる珈琲を飲むたびに、いつも私は彼とのことを思い出す。あの時は若かったからなんて理由では済まされない苦い苦い記憶を。

コメント