都会=スターバックス

コーヒーが好き。
一言でそう言ってみても、その嗜み方は人によって千差万別だろう。

 

コーヒーショップの新商品を追い求めるのが好きな人、純喫茶でマスターが淹れてくれる昔ながらのコーヒーを愛する人、自宅のコーヒーメーカーを使って忙しい朝にささやかなコーヒーブレイクを楽しむ人…。コーヒーは人間の生活のいたるところで存在感を発揮する。ある時は癒し、ある時は慰め、ある時は気合い薬。時と場所を変えて、多くの人の心に入り込み、影響を残す。

 
コーヒーは、思い出の一部になる。五感のうちで「嗅覚」が最も人間の記憶への影響が大きい要素というが、あの苦い香りは、時として恋愛においても強い影を落とす。

 

学生時代、私は遠距離恋愛をしていた。進学を機に東京へ旅立った彼氏と、四国の山奥で地元の大学に通う私。地元を出る前は「東京みたいな都会でやっていけるわけがないじゃん」と笑い合っていた。しかし、連日彼から送られてくるメールには、都会で楽しく毎日を送る彼の姿が詳細に綴られていた。彼が送る華やかな写真を、私は山奥の実家で、ぼんやりと眺めていた。そして、ここにはない「都会」というものに憧れていた。
彼はよくコーヒーの写真を送ってきた。緑色のロゴがよく見えるように、角度を調整して写された白いカップは、私の脳裏に強く焼き付いた。そう、コーヒーショップとしてその名前を知らない者はいない。「スターバックス」の姿を、彼は、田舎で暮らす私に教えてくれた。
都会=スターバックスなんて言うと、今では笑われるだろう。あまりにも安直な発想だと一笑に付されるだろう。しかし、学生時分の私には、「スターバックス」とは都会そのものであった。当時、私の地元にはスターバックスが無かった。地元の田舎具合を自虐するときには「だって、ウチにはスタバが無いから」と言うのは日常茶飯事だった。

 

そんな私には、トイカメラ風に色彩加工された写真に写る、あの白いカップと緑のロゴ、香りまで漂ってきそうなコーヒーの水面は非常に魅力的だった。都会の象徴のように思えた。
もちろん地元にも多くの喫茶店がある。東京にも負けないような美味しいコーヒーを出してくれるお店だってある。しかし、田舎者の私は、とにかく都会に憧れていた。
「いつか、東京でスターバックスのコーヒーを飲んでみたい」
都会への憧憬のあまり、そんな淡い夢を抱くまでに至ったのである。

大学一年の夏休み、私は東京に行った。アルバイトで貯めたお金で、ついに憧れの東京に足を踏み入れることができた。東京に来たのは小学生時代にディズニーランドに行って以来だった。夜行バスから降り、寝ぼけ眼のまま、東京駅の前に立った。

 

私は夢を見ているのではないかと錯覚した。周囲を取り囲むビルの高さに、足がすくんで動けなかった。違う。あまりにも違う。キャリーケースを持ったまま、馬鹿みたいに口をぽかんと開けて立ちすくんでいた私を、彼が迎えに来てくれた。東京の街は空が狭い!と喚く私を見て、彼は笑った。
「空を見上げてたらおのぼりさんと思われてなめられるから、気を付けたほうがいいよ」
少し前まで自分だって「東京怖い、都会怖い」とのたまっていたくせに、今ではずいぶん余裕なことを言う。なんとなく着ているものも髪形も地元にいたころとは変わっていて、「垢抜けつつある東京の若者」といった雰囲気を醸し出していた。地元のショッピングモールで買いそろえた自分の服装を見て、その落差にしょぼくれた記憶がある。
彼は東京のいろんなところを紹介してくれた。

 
「まだ俺も全部は観光できてないけれど」
築地、浅草、渋谷、原宿、秋葉原…。テレビでしか見たことが無い世界がそこにあった。日本にはこんな場所があるのだと、日本人のくせに、そう思った。渋谷のとてつもない人ごみに戸惑う私の手を引いて、彼はすいすいと駅までのルートを潜り抜けて行った。

 

彼の頭の中にはもう渋谷の地図ができているのだろう。頼もしさと、距離感を、同時に覚えて戸惑ってしまった。
「歩き疲れたから休もうか」
表参道を歩いていたとき、彼が指差した先には、あのロゴがあった。スターバックスだ。田舎者心に、「なんてお洒落なお店があるんだろう。しかも、街のそこかしこに」と感動したのを覚えている。
「え、地元にはまだスタバ無いの?」
当たり前だよ、と返すと、彼はへえ、と言った。「東京にはいっぱいあるんやけどね」
店内に足を踏み入れるだけで緊張した。おしゃれな内装と、笑顔を絶やさない店員さん。すべてが洗練されたその印象に、私は頭からつま先まで「こんな田舎者が来てすみません…」と羞恥心で真っ赤に染まってしまうところだった。スタバに来たら「なんとかフラペチーノ」を頼んでみたい、というささやかな願いがあったが、それも田舎者のはにかみの前に消えてしまった。彼が頼むものに続こう、と思った。

 

彼はごく普通にアイスコーヒーを頼んだ。トールとかグランデとか訳の分からない言葉が並んで混乱していたが、「とりあえずトールと言っておけば無難だから」という彼の指示に従った。
困惑しながら飲んだ初めてのスターバックスのアイスコーヒーは、苦かった。当時、私はまだコーヒーに慣れていなかった。夏の暑さに火照った喉に、冷たいコーヒーはするする通ったが、苦さと酸っぱさは思いのほか強かった。私にブラックコーヒーは早かったらしい。顔をしかめる私を見て彼は笑い、砂糖とミルクを持ってきてくれた。
「砂糖使わんの?」
「うん」
「ミルクは?」
「使わん」
「いつも?」
「慣れとるから」
気取らない口調でそう言うと、彼は、私が飲むのに四苦八苦していたブラックコーヒーを、平然と飲み始めた。彼は地元にいたころ、コーヒーなんか飲みもしなかった。炭酸が大好きで、いつもファンタやコーラを飲んでいた。彼は、私にスターバックスのコーヒーの写真を送るかたわら、苦さへの耐性を身に着けていたのだ。

 

この数か月で起きた彼の変化に、私は、戸惑った。違う人を見ているようで、胸が苦しくなった。砂糖を入れても、ミルクを入れても、口の奥に苦さが残って消えないような気がした。
「スタバ、行きたいって憧れてたやろ?」
「うん」
「行けてよかった?」
「うん」
ストローでコーヒーをかき回しながら、私は飲む前にこのコーヒーの写真を撮っておけばよかったな、と思った。
そして、もう彼とここに来ることは無いのかもしれないな、と思った。

 

あれから十年近い月日が経った。私は地元を離れ、都会と呼ばれる場所に移り住んだ。スターバックスもいまや鳥取県にまで進出を果たし、「都会の象徴」と呼ぶにはあまりにも身近な存在になった。
彼とは別れた。大学一年の夏休みの後、お互い忙しくなり、なんとなく距離ができた。送られてくるコーヒーの写真も減り、連休でさえ会うこともなくなった。アイスコーヒーはブラックで飲めるようになった。砂糖やミルクを入れるなんて、邪道だ。そう思ってしまう時もあるくらい、コーヒーは私の生活に馴染み、当たり前の存在になった。
それでも、夏の暑い日にスターバックスでアイスコーヒーを頼むと、時々思い出すことがある。コーヒーの、そして恋愛の苦さを教えてくれた彼のことを。
酸っぱい、苦い、あの香りを嗅ぐたびに、胸がじんわりと懐かしく痛むけれど、それでも私は言い切れる。

コーヒーが好き。

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