冷めた瞳のアイスコーヒーの彼

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私には行きつけの珈琲店があります。そこは、甘いシフォンケーキが有名な少しレトロなお店。
店内はテーブル席が10席に、お店の奥にカウンター席が5席。そこに自由に座っていくのだけど、私のお気に入りはカウンターの1番左端。窓から道行く人を見ながらボーッとするのが私の日常でした。

 

ある日私がお会計をしようと席を離れると、20代後半くらいの男性が財布置き忘れてますよ。と声をかけてくれました。とっさに、ありがとうございます。と答え、その男性を見つめました。彼は容姿端麗で、少し冷めたような瞳の持ち主でした。

ーーそれが彼と出会った初めての日でしたーー
綺麗な顔した人だったな、また会えるといいな、と私はお店を出ました。

 

それからというもの、彼は私に気づくと会釈をしてくれるようになりました。

彼は私と同じカウンターのいつも右端に座り、いつも同じ、ブラックのアイスコーヒーを飲んでいました。
そしていつも、アイスコーヒーを飲む瞬間だけは少し冷めたような、どこか寂しそうな瞳をしていました。

どんなに寒い日でも、必ずアイスコーヒーを頼む彼を、私は密かにアイスコーヒーの彼と呼んで、彼に会えるのを楽しみにしていました。

 

彼がお店に来るのは不定期で、来ない時は2週間ほどお店には現れず、来る時は1週間に2、3度会うこともありました。
彼はお店に来るたび、少し冷めた瞳でゆっくりとアイスコーヒーを飲んでいました。
いつからか私は、彼のその冷めた瞳とその端正な横顔に惹かれていきました。
月日を重ねるごとに、会釈し合うだけだった彼が、徐々に話しかけてくれるようになりました。
その内容は「今日もシフォンケーキ食べてるんですか」など本当に些細なたわいもないことで、私は彼の言葉に「はい。」と照れ笑いを返すだけでした。

彼と出会って、私はいつのまにか恋に落ちていました。仕事に行ってもふと彼を想うほどになった頃、
私は仕事が忙しく2週間ほどそのお店に行くことが出来ませんでした。

そして仕事も落ち着き、やっと久しぶりにお店に行くことができました。

 

私はいつもの場所に腰をかけ、いつもと同じ、シフォンケーキとカフェオレを頼み、アイスコーヒーの彼が来ることを願いました。

ですがその日、彼は来ませんでした。もう帰ろうとレジに立つと、お店のマスターが、お久しぶりですねと声をかけてくれました。
マスターは、もう50代後半程度の少し痩せたおじさんで、いつもニコニコと声をかけてくれます。

マスターに、お久しぶりです。今日もシフォンケーキ美味しかったです。と言い帰ろうとすると
マスターが、彼が暫くこのお店には来れないそうだよと言いました。

私が何のことだろうと疑問符を浮かべると、マスターが笑って、いつもアイスコーヒーを頼む彼だよ。と教えてくれました。

「えっ?」何故マスターは私の気持ちを知ってるんだろう。そんな疑問が浮かぶ中、マスターが、彼が君に伝えておいてくれと言っていたんだよ、と。

 

私の頭の中は疑問符でいっぱいでした。アイスコーヒーの彼は何故それを私に伝えてくれたのだろう、彼はなんでしばらくお店に来られないのだろう、次はいつ会えるのだろう…と。

そしてその日は少しもやもやした気持ちで私は帰路につきました。
私は彼がまたお店に来るのを待つことにしました。それがもし3ヶ月先でも半年先でも。私はもう彼のあの瞳に惹かれてしまっていたのでした。

名前も知らない。年齢も不詳。恋人がいるかもしれないし、もしかしたら結婚だってしてるかもしれない。

でも、彼がお店に来れなくなることを私に伝えてくれた意図を信じて、私は彼を待つことにしました。

 

暫くの間、私はお店にはあまり立ち寄らなくなりました。
そして、2.3週間ぶりにお店に行くとマスターが少し驚いた顔で、久しぶりだね。と声をかけてくれました。

お久しぶりです。と笑いかけるとマスターは、待っていたんだよ。と言い、私に紙を差し出しました。

君が来なくなってからすぐ彼が来てね、これを彼に君に渡してほしいって、頼まれたんだよ。と渡された紙にはアドレスと名前が書いてありました。

 

私は驚き、ありがとうございます。と紙を受け取りました。そして席に着き、カフェオレとシフォンケーキを頼みました。

そしてメニューが届き、まだ熱いカフェオレを一口飲むと、先ほどの紙を見つめました。綺麗な字で書かれたアドレスと名前。急な展開に私はあまり現実味がありませんでした。
そして、私はアイスコーヒーの彼にラインを送りました。

アイスコーヒーの彼の名前はタイチ。年齢は27歳。
彼の地元はここ愛知県で、2年前からは千葉県で働いており、ここ半年程度は実家の用事で地元に帰ってきていたようでした。

彼との連絡は数日続き、少しずつ距離が縮まってきた頃、私は彼に食事に誘われました。
彼の指定した場所は、彼の行きつけだと言う、少しおしゃれなカフェ。そこでランチをすることになりました。

中に入り、お店の人に案内してもらうと、お店の庭が一望できる大きな窓の前、陽の光が暖かく差し込むその場所でアイスコーヒーの彼が待っていました。

こんにちは。と声をかけるとどうも。と軽く微笑む彼。
いつもとは少し違う彼に私は少し緊張していました。

 

おしゃれなお店ですね。とたわいもない会話を広げ、私は照れ隠しにメニューを見つめました。
彼もまたメニューに目を逸らし、2人には沈黙が流れました。でも気まずさは感じなくて、懐かしい友人に会っているようでした。

彼はお店のオススメを頼み、私は日替わりランチを頼みました。
そして、相変わらずアイスコーヒーを飲む彼を見て、少し笑みが溢れるのでした。

 

私は彼に気になっていることを聞きました。暫くあのお店に行けなくなると言うのは何故なのか、と。
彼は少し困り顔で、千葉に帰らなくてはいけない、と答えました。そして、まだ帰るか悩んでいると。

それは彼と初めて出会ってから3ヶ月ほど経った頃でした。

そしてそれから何度かデートを繰り返し、私たちは付き合うことになりました。彼は私をいつも素敵なところに連れて行ってくれました。

彼はどこに行っても必ずアイスコーヒーを頼みました。そして少し寂しそうな瞳をするのでした。

彼はいつもとても優しく、レディーファーストで、今までそんなエスコートを受けたことのない私はいつも少し照れくさく、顔を背けてしまいました。

私はいつも優しい彼にどんどんどんどん惹かれていきました。

ですが、彼が時折見せる少し冷めたような、どこか寂しそうな顔の理由を私は聞くことができませんでした。
ある時彼に、そんなにアイスコーヒーが好きなんですか?と聞きました。

彼は少し考え、ホットコーヒーは息を吐くときフワッと広がるけど、アイスコーヒーは口の中に残るんだよと教えてくれました。

私にはちょっとまだわからないみたいです、と困ったように笑う私を見て彼は少し苦笑いをし、いつものあの瞳で、自分には以前婚約してる人がいたんだ、と話し始めました。

その人は、急に僕の前から姿を消したんだ。と、話す辛そうな姿に私は、大丈夫ですよ、無理して話さなくて…。と声をかけるほかありませんでした。

でも彼は、大丈夫。と続けました。

 

辛かったのは過去のことだから。君と出会って僕は、この人ならまた信頼できると思えたんだ。ーー
と微笑む彼の顔は、いつもの寂しそうな顔ではなく、少し優しい瞳をしていました。

それから一か月ほど経った頃、彼は私に結婚を前提に、一緒に千葉に来てほしいと言いました。僕はもう帰らなくてはいけない、と。

彼の目は本気で、でも優しい瞳でした。私は、少し考えさせてほしいと言い、その日は帰ることになりました。
そして次の日私は私たちが出会ったあの珈琲店に向かいました。
ーーカランコロン。
入り口のベルが鳴り、スタッフがいらっしゃいませと声をかけると、奥にいたマスターが私に、やぁ。と声をかけてくれました。ご無沙汰しています、と苦笑いの私にマスターは優しく微笑みかけました。

いつもの席に座り、私は彼に初めて出会ったことを振り返りました。
まだたった4ヶ月前なのに、何故かとても懐かしく感じました。

まだ遠くにいた彼。アイスコーヒーを飲む姿が目に浮かびます。
そして、昨日言われた言葉。千葉に来てほしい…。
私はずっと前から彼のことがすごく好きで、仲良くなれたのがすごく嬉しくて。そして、その言葉もすごくすごく嬉しかった。

でも、このままついていっていいのだろうか。彼の傷を埋めることができるのはほんとに、私なのだろうか?

私は少しぬるくなったカフェオレを口に含み、そっと目を閉じました。

 
私は次の日、彼をいつもの珈琲店に誘いました。カウンターに座り、今日は隣同士に座りました。そして窓から夕日が照る中、私たちはゆっくりと話し始めました。

懐かしいね、と話し始めたのは彼。
私はそっと彼を見つめていました。

アイスコーヒーを飲む姿はあの日の姿と変わらなくて、近くなった彼の存在に私は不思議な感覚に陥りました。変わったのは彼の瞳。少し冷めたような瞳をした彼は、いつの日からか優しい瞳をしていました。
ーーよし、決めたーー
私は思いの丈をすべて彼へ伝えました。

彼のことがずっと前から気になっていてそして今も大好きだということ。
でも、彼の傷を自分が埋めることができるか不安であること。
彼は私をじっと見つめていました。
そして彼が口を開きました。私はあえてそれに被せるよう声を発しました。
「でも」

ー私はあなたのことが好きだから、もしあなたの傷を埋められるのが私じゃなかったとしても…でもそれでも私はあなたと一緒にいたい。ー

彼はありがとう、と窓の外に視線を外しました。
彼の瞳は薄っすら涙が滲んでいました。

そしてそれを隠すように、彼はアイスコーヒーを口に含み、もう一度私にありがとうと言いました。

それはまだ寒さの残る、冬の終わりのことでした。
そして春になり、新しい地に立ち、彼のアイスコーヒーをいれるのは私の役目になりました。

 

もう二度と彼に辛い思いをさせないように、ちょっぴり砂糖入りの甘いアイスコーヒーを

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